「24時間365日をアスリートとして生きる」、世界に挑み続けた横田真人さん

そこでのコーチはジョー・ダグラスというコーチで、サンディエゴでのクルズコーチとは対照的でした。。ジョーは、「コーチの仕事は考えること。選手の仕事は走ること。」というスタンスでした。また、彼のコーチング理論に対する説明はなく、いままで私がどんなトレーニングをしてきたか、といったことも彼のコーチングにはあまり重要でなかったようでした。

サンタモニカを選んだ一番の理由は、「自分と競い合えるトレーニングパートナーがいるかどうか」で、いままでほとんどの時間をコーチがいない状況でトレーニングをしてきた私にとって、コーチングの相性については考えてもいませんでした。そして、トレーニングで走れない日々が続き、もちろん試合でも結果を出すことができず、その修正方法もわからない日々が続きました。このままではまずいと思い、再び自分の手で自分の走りを取り戻そうと日本に帰国することを決意しました。

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2013年 スタンフォード大学でのペイトン・ジョーダン招待の男子800m Photo: K.Nakajima
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2014年 スタンフォード大学でのペイトン・ジョーダン招待の男子800m Photo: K.Nakajima

アメリカにいた2年間は、私の競技人生でどん底だったと言っても過言ではありません。その間に、日本選手権での連覇も途絶えましたし、日本記録も奪われました。要因は「正しい自己分析ができていなかったこと」だと考えています。先ほども述べた通り、「トレーニングパートナーがいるところ」を最優先に、サンタモニカを選びましたが、「自分がそのトレーニングをやる必要性を理解した上でトレーニングができるか」という環境が優先されるべきで、私にとっては捨ててはいけない部分でした。それをきちんと理解できていなかった。ただ、この2年間は今後の私にとって非常に価値のあるものだと思っています。どん底を知り、そこでの行動の仕方を学び、コーチングというものについて考えるきっかけになりました。

競技者から指導者へ

–2016年の10月の国体で現役最後のレースを迎えます (取材は9月某日)。その後の展望について教えて戴けますか。

大学4年の時の自己記録を更新できないまま引退してしまうのは悔しいです。結果にこだわって陸上競技に取り組んできましたが、過去の自分を越える事は出来ませんでした。「もう一度オリンピックに出るためにどうするか」をアメリカから拠点を戻す際に考えていたわけですが、その時にその目標は大学3年の時にオリンピックに出られなかった時と一緒だなと気づいてしまったんです。自分の目標が、オリンピックで世界と闘うことから、オリンピック出場に変わっていた (戻っていた)。これは私が目指すアスリート像ではないなと思い、2016年での引退を決めました。

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「戦場」での「相棒」ともお別れの時を迎えた Photo: ©h.iwakuni by Re:cords

10月中旬からは、アメリカのオレゴン州、ポートランドに妻と居を構えます。ポートランドの中長距離の強豪クラブの現場で、1年間徹底的に学ぶ予定です。アメリカは2000年のシドニーオリンピックでは1つもなかった中長距離のメダルを、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは7つも獲得しました。その背景にあるもの、彼らの哲学、生きた理論を学んできたいと思っています。

また、それと同時にアメリカの大学院でもコーチングについて学ぶ予定です。選手のパフォーマンス向上のための指導だけでなく、アスリートがOutside of the field (競技外)の活動で直面する課題 (例えば財政面やキャリアトランジッションなど)のサポートも行える人材を養成するための修士課程です。実践をクラブで学び、理論を大学院で学ぶ。大変な一年になると思いますが、貴重な機会を存分に活かしたいと思っています。

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