元箱根ランナーが集まり「箱根裏側座談会」。各校関係者の本音は?
Dec 28, 2019 / COLUMN
Dec 30, 2019 Updated
正月の風物詩といえる、東京箱根間往復大学駅伝競走(以下、箱根駅伝)がいよいよ近づいてきました。
ラントリップマガジンでは毎年箱根駅伝に関する座談会を行っていますが、今年はランニング系YouTubeチャンネル「MATSURUNちゃんねる」のHAGIさんを進行役に加える形で、元箱根駅伝ランナーや元マネージャーをゲストに迎えて経験談を話しました。
プロフィール
進行役
大森英一郎
2008年法政大卒。ラントリップの代表。大学4年時に箱根駅伝9区に出場。
萩原裕磨
2007年法政大卒。YouTube「MATSURUNちゃんねる」のHAGIとしてランニング情報を配信中。中学時代1500mで全国大会に出場した経験も。
ゲスト
渡邉孝乃さん
2014年青山学院大卒。大学2年時より青山学院大陸上部のマネージャーを務める。在学時は総合5位・8位・5位の成績。卒業翌年から青山学院大は総合優勝4連覇を達成。
黒川遼さん
2015年城西大卒。大学3年時と4年時にそれぞれ5区・8区に出走。10000m日本記録保持者の村山紘太(旭化成)選手と同期
関口康平さん
2019年中央大卒。大学4年時に7区を担当。一般入部として『準部員』からスタートするも、4年時に駅伝主将を務める。
出身大学を決めたポイント
早速ですが、みなさんが陸上を始めたキッカケって何ですか?
小中と野球をやっていましたが、その時に学校のマラソン大会でそこそこ走れていたので、「自分の力は一体どれぐらいかな……?」と、高校から陸上部に入りました。千葉県の幕張総合高時代は1500mで県予選レベルの選手でした。
友達に誘われて小学4年から陸上を始めましたが、当時は女の子よりも走るのが遅くて……。それでも、練習を重ねて中学時代は青森県で負けることはなかったです。
私は中学時代に陸上部で800mをやっていました。大学では競技を続けていませんでしたが、「青学でしかできないことをやりたい! 」と思って、マネージャーになりたいと思ったんです。でも、応募の窓口が見つからなかったので、女子マネージャーの先輩をミクシィで発見して、「陸上部に入りたいです! 」とメッセージしました。当時は女子マネージャーが3人しかいなかったんです。
ミクシィ懐かしい! 僕らの頃もツイッターがなくて、ミクシィでしたね。
ちなみに、皆さんはどんな理由で出身の大学を選びましたか?
中央大には一般入試で入りました。勉強を頑張りたかったのと、箱根駅伝に出ている大学で割と都会に近くて理工学部があるのが中央大だけでした。もちろん、『箱根に出ている大学』というのが1番の理由です。一般入試で入学しましたが、当時の監督とコーチに恵まれ、『準部員』という形でスタートしました。
高校(青森山田高)の先輩である石田亮さん(箱根駅伝3回出場)や、田村優典さん(箱根駅伝4回出場)が城西大で活躍していたこともあって城西大に決めました。大学入学時には村山紘太と同級生でしたので、櫛部静二監督から「黄金世代を作るぞ! 」と言われて気合いが入りましたね。
私は英米文学科があるということ青学を選びました。マネージャーになった時は予選会から勝ち上がって、シード取れるかどうかのチームでした。
箱根に出ることが目標だと…
箱根駅伝の直前のこの年末の時期って、チームの雰囲気はどんな感じでしたか?
私が在籍していた頃はまだ、『○○大作戦』というフレーズは出していない頃のチームでしたが、12月に入ったらピリピリしていて……。その時期は普段から全員がマスクをしていて、学校でも遠くから見ていてすぐにわかるぐらいでしたね。
去年のチームは、「箱根でやってやるぞ! 」っていう勢いがあったので、ピリピリしてたというよりかは雰囲気を壊さないように気をつけていました。自分は11番目の選手として補欠に入っていましたが、主力の選手が元日に風邪を引いてしまって、すぐに車で7区のコースを見に行ったんですが、急に緊張しました。
3年の時はレギュラーだったので「自分が頑張るしかない」と思っていて、チームの1区からの流れをイメージする余裕がありました。結果は総合19位でダメだったんですけど(笑) シードを取った4年の時は、調子が悪くて箱根を走れるかギリギリでした。2年の補欠の時と4年の時は「誰か怪我してくれないかな……」と思っていました(笑)1年間を箱根に捧げているので…… 気が気じゃないんです。
僕もボーダーラインだったのですが、箱根の1週間前は笑えなくなりました。「今日良いことがあると運が逃げて箱根に出れないんじゃないか……」っていう精神状態で。今思えば関係ないですよね(笑)もはや出場が目標になっていて、スタートラインですでに疲弊していました。
箱根に出ることが目標だと、結果が出ないのかもね。
当時の法政大は2軍の選手が年末に1500mと5000mのタイムトライアルをやるんだけど、そこで優勝した選手が「その次の箱根を走れる」っていうジンクスがありました。自分はチームを勢いづけようと思って、1500mで入りの1000mを2分30秒で入って、結局最後は4分20秒かかった(笑)そこで当時の成田監督が爆笑してて。監督があそこまで笑ったのを見たことがなかったので、結果的にみんな和んだかと(笑)
箱根の選手たちって、レース当日はどんな風に過ごしているんですか?
7区でスタートが9時台だったので、朝食を5時間前に終えたいので3時ぐらいに起床しました。朝食はお米とうどんを食べました。そうすると消化のタイミングが異なって、レース中に段階的にエネルギーに変わると聞いていました。
5区は走り出す時間が遅いんですが、普段から朝は苦手だったので『いつも通りの時間』に起床しました。5区のスタート地点は平地で暖かいのですが、5kmから上り始めてから風が強く吹いた時が寒くて。最初で汗をかくと寒くなりましたね。
私は沿道で前の走者との差を段ボールに書いて、選手に見せていました。選手は前や後ろとの差が気になるので重要な役割で、2年の時は2区に行きました(出岐選手が区間賞を獲得)。出岐さんは寡黙な方でしたが、練習後には「ありがとう」と声をかけてくださる優しい方でしたので、今でも当時の2区の様子を覚えています。でも、4年の時に応援した区間についてはあんまり覚えていません。笑
「ありがとう!」の声援が嬉しい
やっぱり、箱根を走るとモテるんですか……?
色んな人に興味を持ってもらえますね。とりあえず箱根出たと言ったら、「すごいですね……! 」と言っていただけます。
優勝でもしない限り、そこまでモテてるって感じでもないんじゃないですね。ただ、社会人になって話題にはなりますよね。
僕は、あまりそこまで大したことはないという感じですね……笑
職場では「神野君の先輩だったんでしょ? 神野って呼び捨てしてたの? 」とか、めちゃくちゃ(箱根ファンに)喰いついてもらえますね。笑
「山上りの適性」って言いますけど、どうやって見てるんですかね?
夏合宿で10kmの上りのタイムトライアルがあって、めちゃくちゃキツかったです。ある程度はそこで山上りの候補が絞られますね。
法政大も合宿で1000m×10本の上りインターバル走がありました。
僕は5区を自分から志望しました。チームの流れを変えたいって思って。今考えると気力だけで上っていましたね(笑)もうちょっと頭を使って、走りの原理を理解して山を走っていればよかったと思います。
山上りはパワー系でガツガツいく選手が活躍すると言われてきましたが、神野はそういう選手ではなかったですね。
山は「メンタル」が影響する部分も大きいですよね。
最後の質問です。沿道でどういう声をかけられると、選手は嬉しいですか ?
『大学を代表して走っている』ということが実感できたので、大学名で呼んでもらえたのが嬉しかったです。『タスキの重み』を感じましたね。
僕は大学名だけでなくて、名前を呼んでもらえたら嬉しいと思います。選手の名前は調べたらわかるので、ぜひ沿道の方は名前を呼んであげて欲しいです。選手も意外と聞こえているんです。
確かに、速いペースで走っていても聞こえるよね。エントリーも当日変更があって、補欠から上がった人が出ることもあるから正しい名前(エントリー変更された選手の名前)で、呼んでもらえるといいよね。
私も選手の名前で呼んでいました。青学の旗を持っている集団が各区間にいるので、そこで応援すると目立ちやすいと思います。どの区間も探せば各大学そういうところがあるので(チーム関係者でなくても)そこがオススメの応援ポイントです。
チーム名でも名前でも嬉しいですが、自分の場合は「ありがとう! 」と言われて嬉しかったです。5区を走った時は、その区間で前年に途中棄権していたこともあって、「ここまでタスキを持ってきてくれてありがとう! 」と。4年の時は「4年間ありがとう! 」と沿道の方に言っていただけました。ポジティブな言葉ですし選手は元気が出るので「ありがとう! 」がオススメの声援ですね。
箱根駅伝を目指すチームの裏側のお話、いかがでしたか?いろいろな角度から楽しめるのもこの大会の魅力ですよね。
今回はどんな戦いがくり広げられるのか、今から楽しみですね。
この座談会の様子はこちらからお楽しみください!