箱根駅伝を制覇。市民ランナーの青学OBが夢見る未来| 高橋宗司さんへインタビュー

青山学院大学が2連覇を達成した第92回箱根駅伝。その日を青学OBとして見守った高橋宗司さん

高橋さんも1年前に復路の8区を走り、区間賞を獲得。箱根駅伝を制した優勝メンバーの一人です。

「箱根駅伝を制覇。市民ランナーの青学OBが夢見る未来| 高橋宗司さんへインタビュー」の画像第91回箱根駅伝の優勝後。前列一番左が高橋さん

高橋さんは、昨年3月に青山学院大学を卒業し就職しました。一度は走る事を止めたそうですが、紆余曲折を経て今は市民ランナーに。そんな高橋さんに、今の心境を伺いました。

楽しく陸上競技をやりたかった

—まずは、高校時代と、青山学院大学でのお話についてお聞かせください。

中学時代は野球をやっていたんですけど、地元の利府高校で陸上競技をしたいなぁと思い、高校から陸上競技を始めました。
すると、だんだん陸上にのめりこんでいって、気付いたらインターハイの舞台に立っていました。

当時の宮城県には村山兄弟、服部勇馬、後に青山学院での後輩になる渡邉利典もいて、彼らと試合で切磋琢磨することでそれなりに充実した時期を過ごしました。

利府高校の陸上部は、なかなか練習などが厳しくて……。もともと陸上競技は高校まで、と思っていたんですけど、次第に箱根駅伝で活躍したいなぁと思いました。その中でも高校時代で肉体的にも精神的にも追い込みすぎたんですかね(苦笑)。いい意味でメリハリのついたチームカラーの大学に行きたくて、青山学院大学を選びました。

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2014年8月:夏合宿恒例の42.195km走でのゴールシーン。中央が高橋さん

青学では、本当に青春そのものって感じで、練習自体は厳しいですけど、それでも最後は笑顔。今思うと楽しい思い出が多かったですね。

自分で言うのもなんですが、青学長距離の楽しそうな雰囲気、明朗な高橋イズムはしっかりと後輩達に伝授しておきました(笑)。

運は実力ではない

—箱根駅伝では8区で2回の区間賞、最終学年では総合優勝。競技生活を振り返っていかがですか。

箱根駅伝で区間賞、総合優勝も達成できたので満足してもいいんですけど、自分は本当に運だけは良くて。運も実力って言いますけど、自分ではそうは思っていないです。

大学2年生の時の箱根駅伝は8区で区間賞でしたけど、中央大学の永井選手にタイムでは負けていて。中央大学は往路で襷が繋がらなかったので、復路の選手はオープン扱いで記録が付かなかったんです。実質は区間2位です。

同じく、大学2年時のアジアジュニア選手権の10000mの日本代表になった時も、有力選手が5000mに集中したので、棚ぼたですよね。運良く10000mの代表選手になりました。そういったこともあって、原監督からは、「お前みたいに運だけで生きてる男は見た事が無いから、これからも運だけで生きていけ」って退寮する日に言われました(苦笑)。

常々、原監督からはそういう風に思われていたんですが、僕にとって最後の箱根駅伝は、運営管理車から熱のこもったゲキを貰って。監督が最後の1kmぐらいで、「これがお前の最後なんだから100%出し切れ!!」と。

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2015年1月:第91回箱根駅伝。9区の走者に襷を掲げトップで中継所に

普通ならそこで、100%出し切るんですけど、僕は1%だけ……。
いや、5%ぐらい温存して9区の選手に襷を繋ぎました。

—それは、なぜ?

実は9区の選手に襷を渡してからすぐ、自分の携帯電話で「応援してくれてありがとう」の気持ちを伝えたい人がいたので、そのことを考えていました。今だから言えるんですけどね(苦笑)。

襷を渡してから5秒ぐらいですかね、付き添いの仲間からすぐに携帯電話を受け取って電話をかけました。

—とてもいい話ですね。電話の相手はビックリしたと思いますが。。

けど、、結局、電話繋がらなかったんですけどね(笑)。

夢を諦め切れない

—高橋さんは競技実績がありましたが、一般就職。その理由は?

競技は大学までと入学時に決めていて、その気持ちが変わる事は無かったです。実業団でやるならオリンピック目指す高い志が必要ですけど、僕はそこまでの目標は持っていなかったので。

—市民ランナーにはどういう経緯で。

箱根駅伝を優勝して、僕は1月にすぐに退寮しました。それから3ヶ月走る事から完全に離れました。

食生活も就寝時間も無茶苦茶。でも、そうやって陸上漬けの生活から離れて分かった事が、「自分には陸上以外には何もないんだなぁ」って。

でもそれならもう一度、自分なりに市民ランナーとしてまた楽しく走りたいと思いました。とは言え、自分は箱根を目標にしていたので、その頃には燃え尽き症候群。市民ランナーとして掲げた目標と、実際の行動が全くかけ離れていて。

でも、「スイッチが入ったきっかけ」が幾つかあって。1つ目は、同じ宮城県で陸上をしてきた仲間の村山紘太が、10000mの日本記録を更新したんです。

その時自分は現場で観戦していて、とても感動したんです。紘太が走り終わった後、紘太と少し話して、僕も凄く嬉しかった。けれど、その一方で自分もまだまだ出来るんじゃないかって。自分も頑張ろうって。

2つ目は、社員旅行でNAHAマラソンに出場して、その時に、市民ランナーの仲間孝大さんと出会いました。仲間さんは市民ランナーなのに、5000mの沖縄記録を更新した凄い人。仲間さんと話をしているうちに、市民ランナーでも「こんなにカッコいい人がいるのか」と思いました。

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2016年3月:青山学院大学の後輩で同郷の渡邉利典さんとの練習。後輩の背中を追いかける

三つ目は、OBとして観戦した後輩達の箱根駅伝。圧勝。後輩凄いなぁと。特に、8区を走った下田裕太は去年の僕のタイムよりも1分も速くて。しかも、下田はその後の東京マラソンでも10代マラソン日本記録を更新しました。

そうやって思うと、今までは自分が走った昔の箱根駅伝の映像を見て満足してましたけど、自分は大した選手じゃなかったんだなぁ……。って思いましたね。その時期ぐらいから、「過去の自分を越えたい、もっと上に挑戦したい」と真剣に思いましたね。

いつかは実業団へ

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2016年4月:日本体育大学長距離競技会で大学生に果敢に挑戦。左端が高橋さん

—今後の目標をお聞かせください。

この4月からは記録会に出場しています。今は、青学の頃の実力の40%程度でしか走れていないんですが、いつかは実業団で競技出来るレベルに持っていきたいです。

箱根3連覇に向かう後輩、社会人になった山の神、トライアスリートになった先輩、僕と同じ市民ランナーで自己ベストに肉薄する同期。青学の後輩、先輩、同期、皆が頑張っているので僕も自分への甘さを捨てて、更なる未来への可能性に賭けたいと思います。まだ市民ランナーの身で、この先どうなるかわかりませんが、将来はフルマラソンで頑張りたいと思っています。

プロフィール

「箱根駅伝を制覇。市民ランナーの青学OBが夢見る未来| 高橋宗司さんへインタビュー」の画像 高橋 宗司 (たかはし そうし)
1993年2月2日生まれ、宮城県出身。利府高校では1500mで全国インターハイ出場。青山学院大学では第89回箱根駅伝8区で区間賞を獲得。翌年は5区で箱根の山上りを経験。第91回箱根駅伝では再び8区を走り区間賞を獲得し、チームの総合優勝に貢献。現在は市民ランナー。好きな“すしネタ”はカリフォルニアロール。

高橋さんと箱根駅伝の裏側について語り尽くしました

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