ハーフ58分01秒とフル2時間01分41秒。「サブ2」挑戦前に好記録続出
Oct 10, 2019 / COLUMN
Oct 10, 2019 Updated
マラソン界では、なにかと話題が尽きない。
ハーフマラソンで58分01秒の世界新記録。マラソンでは、1年前にベルリンで世界新記録(2時間01分39秒)が更新されたが、この9月に2時間01分41秒の世界歴代2位が生まれ、世界中に衝撃を与えた。
日本では盛り上がりをみせたMGCが終わり、ドーハでは世界選手権のマラソンが行われた。
10月12日にはエリウド・キプチョゲによるマラソンサブ2への挑戦、『イネオス1:59チャレンジ』が開催される。
サブ58が見えたジョフリー・カムウォロル
9月15日、デンマークで行われたコペンハーゲンハーフで、ケニアのジョフリー・カムウォロルが58分01秒の世界新記録で優勝した。これまでの世界記録を17秒も更新したカムウォロルは、キプチョゲのトレーニングパートナーである。1ヶ月後にレースを控える “師匠” に最高の刺激を与えた。
レースではペーサーが10kmを27分34秒で通過したところで、カムウォロルはペーサーを振り切り、そこからの5kmを13分31秒にペースアップ。最後は少しペースダウンしたものの、人類初のハーフマラソン “サブ58” に手が届きそうなところまで到達した。
【カムウォロルのレース内容】
通過記録 | 5kmのラップ | 1kmのペース | |
5km | 13:53 | 13:53 | 2:47/km |
10km | 27:34 | 13:41 | 2:45/km |
15km | 41:05 | 13:31 | 2:43/km |
20km | 55:00 | 13:56 | 2:48/km |
ゴール | 58:01 | 3:01 | 2:45/km |
※レース全体の1km平均2:45/km
現在26歳のカムウォロルは、10代の頃からハーフマラソンの世界記録を出すことを夢に描いていた。5000m12分台、10000m26分台の自己記録を持ちながら、世界ハーフマラソン選手権を3連覇(2014, 2016, 2018年)。世界クロスカントリー選手権を2連覇しており、“ミスターコンスタント” と呼ばれている。
ロードレース、特にハーフでのパフォーマンスは群を抜いている。2016年世界ハーフではスタート時に転倒したが、そこから立ち上がって、最後にはオリンピック王者のモー・ファラーを破った。2位に26秒の差をつけて優勝するなど、とてつもないパフォーマンスを発揮。
世界ハーフ3連覇を決めて、ハーフマラソンにおいては師匠のキプチョゲのような圧倒的な強さを誇っていたカムウォロル。彼に足りないもの、それは “世界記録” だった。
「ハーフの世界記録は、僕にとって可能なことだ。絶対にできると信じている」
それから1年後、彼は待望の世界記録を樹立した。
サブ58こそ逃したものの、フィニッシュラインを越えたカムウォロルは喜びを噛み締めていた。10代の頃から、この偉業を達成できると強く信じてきたからこその笑顔だった。
“皇帝” ケネニサ・ベケレの復活
カムウォロルや10代で世界選手権5000mの金メダルを獲得したキプチョゲのような、ケニアの“エリート” がともに世界記録を手にした。同じような道を歩んできた男がエチオピアにもいる。現5000m、10000m世界記録保持者の “皇帝” ケネニサ・ベケレだ。
世界クロスカントリー選手権で計11勝(現在は隔年開催だが、以前は毎年開催されていた)。トラックでは5000mと10000mで世界記録樹立。オリンピックで3つの金メダル。陸上長距離界のキングオブキングとして皇帝ハイレ・ゲブレセラシエの後を継ぐように、ベケレは2000年代に世界中にその名を轟かせた。
ベケレはマラソン転向後、2016年のリオオリンピックには出場できなかった。が、その鬱憤を晴らすべく出場した同年のベルリンマラソンでは2時間03分03秒(当時の世界歴代2位の記録)で、鮮やかに優勝を飾った。男子マラソンの前世界記録保持者のウィルソン・キプサングとのデッドヒートの末、ベケレがマラソンで世界記録に肉薄した歴史的なレースである。
それから3年後、ベケレは再びベルリンの地において2時間01分41秒で優勝し、復活を果たしたのだ。とはいえ、この3年間は彼にとっては順風満帆というわけではなかった。
エチオピアでホテル経営などのビジネスを展開するベケレ。度重なる故障に悩まされていたが、レースに出ても完走することすら、ままならなかったのだ。2016年のベルリン優勝の後の5レースでは途中棄権3回。その後の2019年の東京マラソンは、直前で欠場を表明した。
【ベケレのこの3年のマラソン成績】
2016年9月:ベルリン優勝(2:03:03)※当時世界歴代2位
2017年1月:ドバイ途中棄権
2017年4月:ロンドン2位(2:05:57)
2017年9月:ベルリン途中棄権
2018年4月:ロンドン6位(2:08:53)
2018年10月:アムステルダム途中棄権
2019年3月:東京マラソン欠場
2019年9月:ベルリン優勝(2:01:41)※世界歴代2位
今回のレース後に彼はこう話した。
「(故障の影響で)このベルリンまでのトレーニングの期間は短かったけど、それでも2時間02分ぐらいでは走れると思っていた」
紆余曲折あったが、何かを成し遂げる時、人は「自分にはできる」と強く信じているものだ。
取り除かれていくメンタルの障壁
2013年のベルリンで、ケニアのデニス・キメットが2時間02分57秒(当時の世界記録)で優勝したが、その記録がキプチョゲによって破られるまで、5年もの歳月が流れた。しかし、この13ヶ月間で、マラソンのサブ2時間03分は5回も達成された。
これまで1つの壁であった(5年間破られなかった)2時間03分切り。史上最強で史上最速のキプチョゲ以外の選手たちによっても達成されたということは、一体何を意味するだろうか。
【男子マラソン世界歴代5傑】
歴代順位 | 選手 | 記録 | レース | 契約メーカー |
1 | エリウド・キプチョゲ | 2:01:39 | 2018年ベルリン | ナイキ |
2 | ケネニサ・ベケレ | 2:01:41 | 2019年ベルリン | ナイキ |
3 | エリウド・キプチョゲ | 2:02:37 | 2019年ロンドン | ナイキ |
4 | ビルハヌ・レゲセ | 2:02:48 | 2019年ベルリン | ナイキ |
5 | モジネット・ゲレメウ | 2:02:55 | 2019年ロンドン | ナイキ |
2017年に、ナイキのシューズヴェイパーフライ4%、さらにモルテンという高濃度の給水・補給の登場によって、選手たちの競技能力が引き上げられた、とも考えられるだろう。
しかし、シューズやエネルギー源だけが選手たちの競技能力を高めたのだろうか。
その答えはノーである。
人類で初めて1マイル走でサブ4を達成したロジャー・バニスターが、1954年にサブ4を達成するまで、人類のこの偉業への挑戦は幾度となく失敗に終わってきた。が、ロジャーが1度達成をすると、まるでそれまで壁がなかったかのように、数多くの選手がサブ4を達成。それまで困難とされていたことに対する『メンタルの障壁』が取り除かれたのだ。
心理学でいうところの “自己効力感” (セルフ・エフィカシー:self-efficacy)。これは「自分には能力がある。成功できる」という自信を持つことで、目標達成のための行動を引き起こすものである。ケニアやエチオピアの選手の多くは「自分にはできる」と強く信じていて、自己効力感が強い傾向がある。
日本にも「自分にはできる」と強く信じているマラソン選手がいる。彼はMGCに出場していない。
村山謙太(旭化成)は、9月のベルリンで自己新記録の2時間08分56秒をマーク。日本人で今季3位の好記録だったが、注目すべきはそのペース。中間点を1時間02分21秒(2時間04分42秒ペース)で通過。後半ペースを落としたが積極的なレースぶりが光った。
「25km過ぎから、どんどんタイムが落ちていくのが悔しかった」
村山はレース後にこう話した。東京五輪マラソン代表の3枠目を見据えて「もっといけるはずだった」という気持ちがあった(自分にはできると思っていた)のだろう。
東京五輪男子マラソン代表の3枠目をかけて、指定大会での男子のサブ2時間05分50秒が達成されるか否かに注目が集まっている。そのためには、良いトレーニングを積み重ねる以外に何が必要だろうか。
公認レースでの非アフリカ系(アフリカ生まれでない)のサブ2時間06分は、2017年福岡国際優勝のソンドレ・モーエン、2018年シカゴ3位の大迫傑の2人が達成している。選手が「自分にもできる」と強く信じることが重要である。もちろん村山はそう信じている1人で、他にも同じような選手が数名はいるだろう。
最後に、1つだけ断言できることがある。
心の底から「サブ2を達成できる」と強く信じているランナー。それこそがエリウド・キプチョゲという男である。