「イケメン市民アスリート」玉澤悠輝さんが日本郵政を退職して次に目指すもの

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1月のハーフマラソン大会では「1時間8分台」で優勝!

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「ランニング文化をもっと広げていきたいんです!」

そう語ってくれたのは、自らを「市民アスリート」と称する玉澤悠輝(たまざわゆうき)さん。箱根駅伝常連校の城西大学駅伝部出身で、4年時には箱根駅伝で総合6位を記録したチームのエントリーメンバーにも選ばれています(出場は叶わず)。

※玉澤さんは昨年末に行われた好評企画「箱根OB座談会」にも出席。

現在は市民ランナーとして活動している玉澤さんですが、今年1月22日に行われた「千葉マリンマラソン」では、一般の部(ハーフマラソン)で見事優勝(2年ぶり)。1時間8分57秒という優勝タイムは、市民ランナーのレベルを超越しており、その他にも数々の大会で優勝を収めるなど、その健脚はいまだ衰えを知りません。

ちなみに玉澤さんは2年前の同大会でも優勝しており、その時は郵便局で働いていたことから「イケメン郵便局員」として、某スポーツ新聞の記事に扱われました。

次は2月26日の「東京マラソン」に出走するという玉澤さん。昨年3月の「板橋Cityマラソン」で優勝し準エリートの部の出場権を勝ち取りました。
「ベストが2時間24分11秒(2015年福岡国際)なので、それを更新したいですね」。
(※2月28日追記:玉澤さんは2時間23分15秒で見事ベスト更新)

市民ランナーでありながら、その目標レベルはもはや実業団選手並みと言っていいでしょう。今回から東京マラソンはコース変更が行われ、記録の出やすい〝高速コース〟になったことが自己ベスト更新の追い風となりそうです。

そんな玉澤さんは現在「焼き鳥RC」を中心に、「RED RUN CLUB TOKYO」「チーム織田」「AFE tokyo」など複数のクラブチームで練習を行っています。クラブチームの中には今でも5000m14分台で走るランナーや、フルマラソン2時間30分以内で走る猛者もいるようで、彼らと共に毎週汗を流しているそうです。

「実業団だと自分のやりたいようにできないし、楽しみも半減してしまいます。市民ランナーは休みを工夫して練習をしたり、休もうと思えばいつでも休める。そこを調整するのが難しいところなのですが、それさえできれば楽しいですよ!」

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新宿シティハーフマラソンにて、「焼き鳥RC」のTシャツを着た玉澤さん(左)

〝走り〟の原点は「シール集め」。中学時代は駅伝で全国2位を経験

そんな玉澤さんの〝走り〟の原点は、小学生時代に遡るといいます。「当時2限と3限の間に20分休みがあって、その時間に全校生徒で走る行事があったんです。日本地図のようなものを渡されて、校庭を1周走るとシールで地図を埋められるというルール。自分はそういうのを集めるのが好きで、シール欲しさに走りまくりました(笑)。しかも朝練は4年生からしか参加できないんですけど、先生に『シールが欲しいので、朝練行っていいですか』と直談判するくらい。だから僕の走るきっかけはシール目的なんです(笑)」。

その他にも、小学生時代は様々なスポーツに触れたという玉澤さん。

「春は陸上をやって、夏はサッカー、土日はソフトボールクラブ、冬になったら駅伝とロードレース、という感じでしたね。」

中学校に上がると陸上部に所属し、小学生時代に鍛えた自慢の走力を披露します。1500mと3000mで全国大会に出場したほか、駅伝でも大活躍。千葉県代表として出場した全国中学校駅伝ではアンカー(6区)を努め、見事区間賞の活躍でチームを準優勝に導きました。

「あの時は全国大会が地元の千葉県開催で、『開催地枠』というものが設けられていたんです。県大会ではアンカーの自分にタスキが渡ったころには1位と30秒以上離されていて、『このまま2位でも地元枠で出られるし大丈夫だろう』と思ったんですけど、最後の最後に逆転できて優勝することができました。でも後で気づいたのが、実は開催地枠で出られるのは全国大会が開催される千葉市の学校のみだったんです。もし最後まで『2位でもいいや』と思っていたら、全国大会には出られませんでした(笑)」

念願の箱根駅伝出場まであと一歩に迫るも……

中学時代に1500m4分10秒、3000m8分58秒という好タイムを残した玉澤さんは、自らが「恩師」と語る黒川俊樹先生(中学2年生までの陸上部顧問)に勧められて、陸上競技の名門校である市立船橋高校(千葉)に進学します。

「中学までは練習量が少ない中で結果を出してきたのですが、高校に入ってからはいきなり練習量が増えました。その結果、1年生の12月に左ひざの大きな故障をしてしまい、半年間くらい走れなくなってしまったんです。それまではケガをするという経験がまったく無くて、ケガをした時の対処法がわからなくて……。いざ走れるようになったら、カラダのバランスが全部崩れていました」

初めての〝挫折〟を経験した玉澤さんは、その後再び走れるようになり、卒業するころには5000mで14分台(14分53秒)を記録。とはいえ1年時にすでに15分15秒で走れていたそうで、2年間での更新タイムはわずか20秒ほど。高校駅伝も県3位にとどまり、栄光に満ちた中学時代と比べれば、高校3年間は「悔しい」思いが募るものとなりました。

その後、「自分の行きたい大学には進学できなかったけど、それでも陸上は続けたかった」という思いから、箱根駅伝の常連校である城西大学に進学。指定校推薦という、いわゆる〝非エリート組〟として入部した玉澤さんは、様々な困難にぶつかります。

「一応、高校の監督の方から入部の許可を得たのですが、最初は2軍寮からのスタートでした。大学に入ってからも自分の走りを確立できなくて、ずっと自分でフォームを試行錯誤しながら走っていました。しかも城西大の場合は〝量〟も〝質〟を求められ、2年生までは練習に付いていくだけで精一杯でした」

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城西大時代(右が玉澤さん)

大学時代もなかなか結果が出なかったそうですが、それでも4年目には箱根駅伝の予選会を走り(チーム内4位)、本戦のエントリーメンバー16人に選ばれるまでに成長。「やっとここまで来たな」という思いと裏腹に、「自分は安定感があるだけで、本番での爆発力はない。それがどう評価されているか……」という悪い予感も感じていたそうです。

そしてその予感は的中。脚に不安を覚えたことから〝一度だけ〟ポイント練習を外れ、それがきっかけで10人の出走メンバーから外されることに……。その大会でチームは過去最高タイとなる総合6位を記録しましたが、その時の悔しさは「今でも忘れない」と当時を振り返ります。

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