先日公開された対談記事で、M高史さん、ラントリップ代表・大森英一郎とともに日本マラソン界について熱く議論を展開してくれた、お笑いコンビ「ポップライン」の萩原拓也さん。実は、学生時代は駅伝強豪校の神奈川大に所属。10,000mではなんと29分台の自己記録を持っています。
今回は後編として、前編では語られなかった「芸人の道を進んだ理由」「設楽悠太選手(Honda)のものまねをするようになったきっかけ」を中心に、萩原さんのすべてを丸裸にしていきます。
「最初は役者志望だった」
そもそも萩原さんがお笑いに進んだきっかけって何だったんですか?
大学を卒業して、まず役者になったんです。神奈川大の同期が12人いるんですけど、みんな実業団に行くなか、僕だけ違う道へ(笑)。
大後(栄治)監督にも「お前、マジかっ!」と言われましたね(笑)。でも最終的には「がんばれよ」と送り出してもらいました。その後は役者を2年くらいやっていたんですけど、これは売れないなと思ったんですよね。その頃は若かったので、とにかくスターになりたかったんです。ちょうどM-1グランプリが始まったばかりで、これはお笑いだなと思って芸人になりました。
なるほど。はじめから芸人を目指していたわけではないんですね。
最初は中学の同級生とコンビを組んで、その後トリオになって、1人辞めて……今に至るという感じです。
それで1年前から、たまたまランニングネタをやるようになったんですね。
そうです。ここは勘違いしてほしくないんですけど、設楽悠太選手が東京マラソンで日本記録を出したからやっているわけではなくて、その前からマラソン芸人として活動していたんです! そう思われたら嫌だなと思いつつ、そう思われてもいいかなという気持ちもあるんですけどね。
でも、この東京マラソンは確実に人生のターニングポイントですよね。
間違いないですね(笑)。元々設楽兄弟に似ていると、周りから言われていたんですか?
設楽兄弟が東洋大の1年生として箱根に走った時から言われていましたね。僕のことを知っている陸上関係の人からはずっっと言われていましたよ。だから今回僕がクローズアップされているのも、昔から知っている人からすると「今更かよ!」みたいな(笑)。LINEのグループでは「やっと時代が追いついたな」って(笑)。
東京マラソン当日夜にはモノマネ動画を撮影
東京マラソンで設楽選手が日本記録を更新した時、萩原さんはどういう気持ちだったんですか?
あの時は、単純に「出したんだ~、すげぇな~」と思った程度ですね。
それはありましたね(笑)。それで「芸人として何かやれよ」とも言われていたんですけど、その時は何も考えていなかったんです。
「これ、やるなら今かな」と。ちょうど東京マラソン当日に相方とネタ合わせをするタイミングが合って、その時に「行くぞ」と。その日の夜に設楽選手のユニフォームを手作りして、ものまねインタビュー動画を撮りました。まさか、こんなに反響があるとは自分でも思っていなかったです。
東京マラソン翌週のマラソン大会で、たまたま僕らゲストランナーでご一緒したんです。その次の週の渋谷のラジオに出させていただいて、今では陸上界のみなさんが知っていますからね。
知っています、知っています。驚くほど知っていますよ! 僕がどこへ行っても、常に「設楽悠太選手のものまねする人がいて~」と宣伝していますから(笑)。
オスカー(萩原さんが所属の芸能事務所)のマネージャーさんよりも営業しているんじゃないかな(笑)。
この前なんか近藤真彦さんが監督している
「イイコトチャレンジ」というランニングイベントで、さんざん話してきました。
多分、駅伝・マラソンのコアなファンからしたら、(萩原さんは)たまらない存在だと思いますよ。あと、萩原さんのすごいところは、「ポップライン萩原」とSNSで発信すると、5分以内に「いいね」と「リツイート」をしてくれるんです。
しかも、批判的なコメントにまで反応してくれるんです。そうすると、批判した人は今度は応援のコメントを返してくれる。だから、どんどんファンが増えるんです。
これ記事に載せちゃったら、皆さんSNSに投稿しちゃいますね(笑)。
M高史「毎日萩原さんとLINEしています(笑)」
萩原さんは、まだ設楽選手の真似をして2~3週間くらいしか経っていないんですよね?
そうです。この3週間でだいぶ設楽悠太という人物を見てきて、部屋にポスターを貼ったり、ナイキの商品が並んであったり、どんどん寄せていこうという気持ちが溢れてきています。何かの取材のVTRを観たんですけど、似ているんですよ、僕。
一同 (笑)
まさにその通りですね。めちゃくちゃがんばってほしいと思っています。僕の生活も懸かっていますから(笑)。
でも、この3週間くらいで人生変わってきているんじゃないですか?
変わってきていると思います。この2~3週間で20本くらいはお仕事を頂いて、真っ白だった手帳が黒く塗りつぶされています(笑)。
僕ら毎日LINEしていますよね。僕は妻よりも萩原さんの方がLINEしているくらいです(笑)。
そっくり芸人としての先輩なので、いろいろ情報を共有してもらっています(笑)。
陸上と芸歴は萩原さんの方が先輩で、マラソンで著名な方のものまねをしているという点では僕の方が先輩にあたります。そういう意味で放っておけない親近感というか、応援したい気持ちが芽生えてきますよね。よく「ライバルなんじゃないか」とか、「仕事が無くなったらどうするんだ」とか言われたりするんですけど、そういうことではなくて、仲間として応援したいのが1番です。妻には心配されますけどね(笑)。
ゲストランナーも「M高史はもう5年目だから、次はポップライン萩原でいくか」という大会の主催者がいてもおかしくないですからね。
それはそれでいいんです。そうなった時に、僕自身がさらにレベルアップを図って、上を目指していけばいいので。よくゴルフのトップ選手でも、ライバル選手のパットに対して「外せ!」と思うのではなく、「入れ!」と思うような選手が成功する。それでお互いを高めていける関係が最高だと思うんです。
かすみがうらマラソンでは「まずサブスリーを!」
僕は2017年から〝芸能界最速〟を目指して10年ぶりに走り始めました。それには、がんばれゆうすけさんの2時間25分09秒を超えないといけないので、やるからにはそこを目指したいですよね。その第一段階として、今回はサブスリー(3時間切り)を出さないといけないと思っています。じゃないと、ご本人にも申し訳ないですよね(笑)。
※見事「2時間59分21秒」でサブスリーを達成
僕もよく言われるんですけど、「お前顔だけかよ!」とか(笑)。
それは絶対に嫌ですよね(笑)。2時間25分とかで走れたら、選考レースとかでご本人と一緒に走れる機会もあると思うので……。
練習もご本人が30㎞までしかしないので、それも忠実に真似しているんですよね。
仕上がっていますね~。Mさんはゲストとして参加ですか?
僕は大会アンバサダーをさせて頂いているんですけど、『かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソン』ということで、視覚障害の方の伴走としてフルマラソンを走ります。
その方は初フルマラソンなんですけど、この前練習をやった感じだと4時間台ではいけるかなと。僕は2020年の東京オリンピックで代表選手の伴走をしたいという夢があるので、そのために今走っています。ちゃんと走力がないと務まらないですからね!
そういう意味でも、悠太さん……じゃなかった啓太さん……。
萩原さんと一緒に、この格好でトレーニングできたらなと思っています。
表参道メンズランを2人でやろうと計画立てています(笑)。
おふたりとも、今回はありがとうございました。また一緒に登場してください!
M高史(ものまねアスリート芸人)
中学・高校は陸上部(長距離)に所属し、駒澤大学陸上競技部では駅伝主務として選手をサポート。卒業後は、知的障がい者施設の支援員として約5年間勤務した。2011年12月より「ものまねアスリート芸人」へ転身し、〝公務員ランナー・川内優輝選手のそっくりさん〟として注目を集める。現在は東京マラソン財団スポーツレガシー事業チャリティ・アンバサダー、東京マラソンウィーク宣伝部長、「NPO法人アトリエ言の葉」理事長と、幾多の役職を兼務している。夢は東京パラリンピック・マラソンでガイドランナーを務めること。
萩原拓也(お笑いコンビ・ポップライン)
中学から陸上競技(長距離)を始め、大学では神奈川大学陸上競技部に4年間所属。箱根駅伝出場は叶わなかったが、10,000mは29分48秒、ハーフマラソンは66分28秒という自己ベストを持つ。卒業後は2年間の役者生活を経てお笑い芸人へ転身。主な実績としては『キングオブコント』準々決勝進出、日テレ『PON!』出演、NHKラジオ『サンドウィッチマン天使のつくり笑い』出演など。2018年2月の東京マラソンの結果を受け、設楽悠太選手のものまねを開始。駅伝ファンを中心に密かなブレークを果たしている。
1991 年生まれ、東京都出身。スポーツをメインに取材・執筆を行うフリーライター。陸上競技 の専門誌『月刊陸上競技』での執筆経験を生かし、当媒体では元陸上ランナーのインタビュ ーや箱根駅伝関連の記事を多く執筆している。