サロモン・スントもサポートするトレイルランナーの師は、元・箱根駅伝優勝メンバーだった――〝マウンテンプレイヤー〟眞舩孝道さんインタビュー・前編

2017年12月6日、東京・市ヶ谷にて、とあるトークイベントが開催されました。

タイトルは『山に魅せられたからこそ…分かったこと』。主役は眞舩孝道さん(39歳)。サロモン・スントを始め多くの企業のサポートを受けながら、福島のフィールドを縦横無尽に走る〝マウンテンプレイヤー〟です。

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トークイベントで話す眞舩孝道さん(Photo by Naoto Yoshida)

山を走り始めたのは大学卒業後。そして、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、眞舩さんは福島のトレイルランニングシーンに不可欠な存在となっていきます。

なぜ、走り始めたのか、山に魅せられたのか。眞舩さんの半生を方向付けた〝3つの出会い〟を紐解きました。

寡黙な元・箱根ランナーに弟子入り

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Photo by Naoto Yoshida

福島県は、南北に連なる阿武隈高地と奥羽山脈で、中通り、浜通り、会津地方の3区域に分かれています。眞舩さんは、中通りにあたる西白河郡西郷村出身。高校生までは野球少年。野球強豪大学への進学を考えていた眞舩さんですが、身体的限界と家族の反対もあり、野球から距離を置くことを決意。埼玉県の駿河台大学に進学しました。

「入学後の1ヶ月は寝ずに遊んでいましたが、どこか野球が頭に残っていたので、それを忘れたくて走り始めました。元々走るのは好きだったんです」

野球に代わる目標を渇望していた矢先、1つの出会いがありました。

「大学の陸上競技場を夕方に黙々と走っている人がいて。先輩に聞いたら、大学の職員で、昔は早稲田大学で箱根駅伝の優勝メンバーになった人だと言うんです。越智房樹さんという方でした」(※)
※越智房樹氏:早稲田大学OB。第60回箱根駅伝で早稲田大の6区を任され、区間5位で総合優勝に貢献。瀬古利彦氏を指導した故・中村清氏の門下生でもある。

「それを聞いて越智さんに、とにかくのめり込むようなことやりたい、と伝えて。そうしたら、『フルマラソンをやらないか』と言われたんです」

今でこそ駿河台大は駅伝への強化路線を歩んでいますが、当時の陸上部員は3、4人。駅伝への出場は不可能でした。

「越智さんは、瀬古利彦さんの師である中村清監督の門下生なわけです。遠征や練習の時には、越智さんから、瀬古さんたちの武勇伝や言葉を聞くのが楽しく、ワクワクしました。越智さんは、社交的ではないし、哲学的な方でしたが、一つ一つの話が、人生論に繋がることや、人間力を鍛えるものでした。エネルギーはあっても使い道が分からない当時の自分としては、物凄く影響を受けましたね」

〝サラリーマンアスリート〟の真髄

当時、越智さんからはこんな言葉もかけられたといいます。

〝周りをアッと言わせたくないか?〟

「今でこそ増えてきましたけど、当時(1990年代後半)は学生でフルマラソンを走っている人なんて殆どいない。皆、やっぱり箱根駅伝。でも、瀬古利彦さんは箱根もフルマラソンも走っていた。箱根がフォーカスされるけど、マラソンは人生に通じる部分があるんだ、と」

マラソントレーニング中の思い出は毎週月曜日に行う30km走。不動のトレーニングメニューであり、越智さんと共に黙々と走り込んでいたといいます。

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Photo by Naoto Yoshida

「大学の授業が終わると、越智さんの仕事が終わるまでウォーミングアップして待っているんです。彼も現役のランナーでしたから、私が越智さんのトレーニングに便乗させてもらうという師弟関係でした。なぜ月曜日に30km走かというと、そこはサラリーマン・アスリートの真髄。週の始めにしっかり30km走っておけば、仕事の都合でスケジュールが流動的になっても自信は残る。山岳競技に身を移した今でも、その時のベースが生きてるんです」

「もう一歩、頑張りたくても頑張れない」

越智さんとの〝特訓〟によって、築かれた素地は、着実に結果に結びついていきます。大学3年生になった1999年11月に茨城県のつくばマラソンを2時間26分で走破し6位入賞すると、翌2000年2月の東京国際マラソン(当時)に出場。シドニーオリンピックの選考レースで、東京の街を駆け抜けました。

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東京国際マラソンで疾走する眞舩さん(提供:眞舩孝道)

野球を忘れたくて転向したフルマラソンに、なぜここまで夢中になれたのでしょうか。

「努力が直結するというか、ごまかしがきかないところに衝撃を受けたんです。自分はチーム競技より、自分の内面と向き合う個人競技の方が合っているんじゃないかな、と」

本格的に走り始めて約3年で〝サブ2.5〟を達成した眞舩さんですが、更なる高みを目指した大学4年時は苦い思い出となりました。

「オーバーワークになってしまって、もう一歩、頑張りたくても頑張れない。燃え尽きも若干ありました。当時は、越智さんの母校である早稲田大に編入して箱根を目指すか、実業団で競技をするか、ということまで考えていましたが、学費を払えるお金もない。まずは就職してから大学編入を目指そうと、県内の高校に教員として就職しました。部活も受け持って、自分のトレーニングにもしながら」

寡黙に走り続ける越智房樹さんとの遭遇をきっかけに、ランニングへの道に舵を切った眞舩さん。しかし、夢を捨てきれずに戻った地元で、新たな競技『山岳レース』との出会いが待っていました。

(中編に続く)

吉田直人が執筆した記事

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