リハビリのつもりが250km完走…… 元テニスプレーヤーが超長距離レースに目覚めるまで

11月半ば、六本木のインドレストラン。

貸し切りとなったこの夜、店内は一人の男性を輪の中心に据え、活気づいていました。

インド料理が並んだテーブルには雄大な風景を捉えた写真が添えられています。それらはすべて、インド、ネパール地域をはじめとした遠征の最中に、彼が撮影したものです。

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Photo by Naoto Yoshida

佐藤良一さん(56)。重度のヘルニアと遺伝性の心疾患を抱え、ICD(植え込み型除細動器)を体内に埋め込みながら、今も国内外のレースを走ります。この日は、佐藤さんの著書『なぜ走る』の出版記念パーティでした。ランニングと並行して続けるテニスコーチ業の仲間や、ギリシャで開催されるウルトラマラソン『スパルタスロン』出場時の同士など様々なバックグラウンドを持つ人々が詰めかけました。

佐藤さんの生い立ちを振り返りつつ進行していく同著には、いじめに苦しんだ小中学生時代、テニスに明け暮れた学生時代、ランニングに目覚め、国内外の超長距離レースに取り組んでいくさまや、心疾患との闘いと〝つきあい〟が描写されています。

まずは、佐藤さんの主要レース歴を見てみましょう。

1991年:ホノルルマラソン完走(初フルマラソン)
2000年:サハラマラソン完走、スパルタスロン初出場
2001年:スパルタスロン初完走
2003年:東海道ジャーニーラン537km3位(日本橋〜京都三条大橋)
2005年:24時間走アジア選手権7位(台湾)、24時間走世界選手権19位(オーストリア)
2006年:24時間走世界選手権オープンの部3位(台湾)、さくら道国際ネイチャーラン7位(名古屋〜金沢)、24時間走ジャパンカップ準優勝、24時間走日米大会代表(米国)
2007年:24時間走世界選手権オープンの部優勝(カナダ)、スパルタスロン10位(ギリシャ)
2009年:プーケット国際マラソン7位(タイ)
2011、12年:アンナプルナ70km完走(ネパール)
2011、13年:クラブウルトラ70km優勝(高知)
2013年:ムスタンマウンテントレイルレース280km完走(インド)、ラ・ウルトラ-ザ・ハイ222km完走(インド・ラダック地方)

さくら道国際ネイチャーラン250km完走4回(出場5回)
萩往還250km完走6回(出場7回)
スパルタスロン246.8km完走8回(出場14回)
24時間走16回参加(最長237.374km)
ウルトラマラソン完走85回(2017年1月時点)

※出典:『なぜ走る』佐藤良一著

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Photo by Naoto Yoshida

ここまで書けば、一般的なランニングの領域からは突出したランナーであることがわかります。加えて、重度のヘルニアと診断を受けたのが1990年。遺伝性の心疾患が本格的に表面化し、ICDを移植したのが2013年。レース戦歴と照合すると、フルマラソン完走(91年)、ムスタン、ラダックのロングトレイル完走(13年)と重なっています。常識的には考えがたいこのランニングへの意欲はいかにして生まれ、育まれたのか、そして、これからの夢とは。佐藤さんへのインタビューを3回に分けてお送りします。

〝保存療法〟で始めたラン

「なぜ走るのか?」

走る人、特にシリアスランナーの多くが受ける問いかもしれませんが、答えはランナーの数だけあります。健康維持から達成感の渇望まで理由は様々でしょう。これが「〝人は〟なぜ走るのか? 」という問いになると、更に根源的になります。走るという行為について追求した多くの書籍も存在しています。

その中で、佐藤さんが走り始めた最初の理由は、ひと言で言えば〝改善の為〟でした。

「大学卒業時にチベットでの自転車旅行を計画していた矢先、テニス部の先輩からフロリダへのテニス留学に誘われて、旅行を諦めて渡米。現地でのトレーニングで腰を痛めて、先輩を残して帰国しました。その後は痛みを我慢しながらテニスを続けていたのですが、耐えかねて病院に行ったら『重度のヘルニアです』と診断されて。すぐに手術が必要な状況でしたが、費用が200万円かかるのに成功率50%。何か別の方法を模索していた折、とあるスポーツ整形外科の先生が、『今は筋肉が偏ってるから、バランスの良い筋肉をつけなさい』と。そこで思い至ったのが走ることだったんです」

かくして走り始めた佐藤さんは、同年(91年)にテレビで観て心に残っていたホノルルマラソンにエントリーします。

「申し込んでしまえば走らざるを得ないと思って。リハビリの為にただ走るというだけではモチベーションが上がらなかったんですね。でも走ると当然もの凄く痛くて、5km走るのがやっと。その約10倍の距離はとても無理だろうと。練習方法も分からないから、まず10kmを週3回走ることにしました。すると段々体重も軽くなってきて、腰の負担が軽減されたのか、動ける様になってきた。多少の痛みはあるんですけど、『あ、これはいいぞ』と」

※毎年12月開催のホノルルマラソンは翌年1月にテレビ放送が組まれている。

ランニングにやりがいを見出した佐藤さんは、ホノルルでの初フルマラソンを4時間15分で終えます。5年ほど経って「自転車もスイムもバランスの良い運動だから」とトライアスロンにも取り組み始め、宮古島や佐渡でのロングレースにも参戦していきます。

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Photo by Naoto Yoshida

初・ウルトラ。80人から感謝される

その後、ウルトラマラソンに足を踏み入れていくことになりますが、そのきっかけはフルマラソンにありました。

「トライアスロンやりながら、ホノルルマラソンにも毎年出場していて、自己記録は3時間9分14秒までいきました。今回も更新するぞ、と意気込んで走った翌年、自己記録に1秒及ばなかったんですね。それが許せなくて。何かプラスになることをやらないと、と思ったところで、『ランナーズ』に掲載されていた『チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン』に参加を決めました。しかも最長部門の117km。完走できるかはともかく、とにかくチャレンジしてみようという一心でしたね。『絶対に歩かない』と決めて、フルを超え、60km、70km、80kmも超えた。そのうちに歩きだす人やリタイア者が出始めた。そこでこう思いました『あれ、俺向いてんのかな?』って」

117kmの制限時間は15時間。迫り来る時間の壁から逃れるうちに、佐藤さんの足取りは力を増していきました。

「無謀な挑戦に、残り約13kmの地点まで家族が応援に来てくれたんです。『ここまで来たぞ!』と、泣きそうでした。富士五湖のコース、最後はゴールまで7kmの登りなんです。僕は走れているけど、歩いている選手は間に合いそうにない。『走れば絶対間に合うから頑張ろう』と80人くらいに声を掛けて抜いていったんです。ゴールすると、抜いてきた人たちから感謝されるわけです。走っただけなのに、感謝されている、人の役に立っている。そして何より、117km完走しちゃった(笑)。そこで、もうフルマラソンはいいから、ウルトラの世界に入ろうと思いましたね」

※チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン:現在118km、100km、71kmの部門がある。

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写真提供・佐藤良一

やみつきになった〝怪しい体験〟

その後、四万十ウルトラマラソンを完走し、さらなる長距離レースを求めていた1999年、山口県で開催されていたあるレースを見つけます。『山口100萩往還マラニック』。1604年、大名の毛利輝元が山陰と山陽を結ぶ参勤交代通路として開いた古道『萩往還』をゆく250kmの長旅。フィニッシャーを称え〝完走者〟ではなく〝完踏者〟と呼びます。当時の出場基準は〝100kmを超えるレースを完走している者〟。富士五湖で117kmを完走していた佐藤さんは、完踏への挑戦権を得ることになりました。

「富士五湖で〝チャレンジ〟しておいて良かった(笑)。でも100km走った人自体、知人にはほぼいないし、250kmの完走者なんて皆無。世界中にどのくらいの競技人口がいるんだろうと思ったら、萩だけで200人いると。それまでは夜中に走るレースの経験もない中で、夕方6時のスタートで250kmですから当然夜通し走るわけです。制限時間は48時間。森の中を走りながら、補給所に到着するたびに人を見てホッとする。夜が明けて、また走りながら夜を迎える。寝ていないから、幻聴幻覚を体験しました。色々なものが人に見えて、それと会話している。他のランナーも同じ様な状態だから、お互い不安で共に走る仲間ができる。そしたら今度は、仲間は前を向いて走っているのに、顔だけが後向きになって僕に話しかけてくる……。幻聴幻覚を見聞きしている意識は頭のどこかにはあって、贅沢な遊びをしている様に思いつつも『早く抜け出さないと』という感覚。2度目の夜が明けた時はジャングルから生還した様な気分でした。それが初めての250kmです」

完踏を果たし、「当分はもういいかな」と思っていた佐藤さんですが、既に超長距離レースの魅力に心を掴まれていました。

「終わってひと月くらい経つと、あの怪しい体験が懐かしくなる。もう1回、行きたい」

ヘルニアのリハビリとして始めたランニングへの意欲が高じて、初めてのウルトラマラソン完走から、100マイル(170km)を飛び越えて250kmを制覇。その先には、ギリシャそしてインド、ネパール地域へと、更なる壮大なレースへの出場が控えていました。

(中編に続く)

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