元・駒大の箱根駅伝アンカーが選択した“不安定な人生”との向き合い方
Oct 30, 2017 / MOTIVATION
Apr 26, 2019 Updated
「これは自分が走っている場合じゃないぞ」
桜美林大学陸上競技部にプレイングコーチとして就任後まもなく、治郎丸健一さんはそう感じたと言います。
由良育英高校(現・鳥取中央育英高校)から駒澤大学に進み、最終学年で箱根駅伝にアンカーとして出走。その後、大分東明高校陸上競技部プレイングコーチ、日清食品グループ陸上競技部を経て、真也加ステファン監督率いる桜美林大学陸上競技部の長距離プレイングコーチに就任。駆け出しのチームのベースづくりを担いました。治郎丸さんの人生記、今回は同校コーチや現在所属するラフィネ陸上部の経験、さらに代表理事を務める『一般社団法人 国際スポーツライフタイム協会』設立の背景を交えつつ、治郎丸さんの〝人生観〟について伺っていきます。
コーチとしての葛藤

――桜美林大学でのプレイングコーチ業は如何でしたか?
就任してみると、真也加監督(※)の指導方針は、選手に与える裁量が大きいという印象を抱きました。監督自身がかつて自主性の強い選手だったこともあり、逆に言えば、選手を管理するのが苦手な面もあったのかもしれません。
※真也加ステファン:桜美林大学陸上競技部駅伝監督。1992年から96年にかけて山梨学院大学に在籍。出雲全日本大学選抜駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝に出場し、渡辺康幸(早大・当時)としのぎを削った。
――当初はチームとしてはあまり機能していなかったと。
そうですね。立ち上げ期ということもありますし。だから「私もしっかりしないといけない」という方に比重が向きやすかったように思います。プレイングでしたけど、「走ってる場合じゃないぞ」というのも正直ありました。
――どんなところに苦労されたのでしょう?
学生たちとのコミュニケーションです。寮にも住んでいたのですが、選手を見るということが物凄く大変でした。選手、マネジャーの育成、監督とのコミュニケーション、スカウティングといった組織に関わることはゼロからのスタートでしたし、私自身の競技もあって。もう大変でしたね。
――学生ランナーを見ていて如何でしたか?
ある程度能力のある選手を集めてのスタートですが、当時はまだ個々人の〝甘さ〟が強かったですね。考えて取り組めないというか。言われないとやらないというか。私も日清時代に自由にやっていて、真也加さんも自分で考えて競技していた人だった。指導側が自主性の強い人間だったんで、自由にやらせていたというのもあったのですが、最初の方はもう少し枠を用意してあげても良かったかもしれません。「最終的には自分で考えて取り組まないとダメだよ」という話は学生にしていたんですが、考えきれていなかったいうか。

桜美林大学の最初期を支えた後、2017年から治郎丸さんはラフィネに移籍します。ここでも肩書きはプレイングコーチ。とはいえ、実業団チームということもあり、それまでの高校生や大学生とは異なります。サポートする対象は、多くが競技歴を重ねてきたランナーたち。コーチングというよりは、ハッパをかけることが主な役割です。
「選手に言うことは『プロフェッショナルでいろよ』ということに尽きますね。お金をもらってやっているんだから、結果を出してくれ、と。それは、日清にいた時と一緒です」
治郎丸さんの足跡から抽出される言葉は、やはり〝紆余曲折〟なのかもしれません。しかしながら、俯瞰してみると決して回り道をしているわけではなく、前後の経験が関連し合っていることが見て取れます。アスリートとコーチ。言うなれば鳥の目と虫の目。これまでの経験で培ってきた〝目線〟を生かして、治郎丸さんは、新たなチャレンジにも取り組もうとしています。
〝代表理事〟としての顔
『一般社団法人 国際スポーツライフタイム協会』。2017年3月に設立されたこの団体で、治郎丸さんは代表理事を務めています。サイエンス、メディカル、栄養学等、各領域のプロフェッショナルで構成され、アスリートの包括的なサポートを目的としています。
「(設立にあたって)最初に思ったのはセカンドキャリアです。スポーツ選手は、引退後に困る人が多い。そこでセカンドキャリアをサポートする団体ができたらいいな、と思ったんです。その他では、ジュニア期のアスリートをサポートできたらいいよね、とか。その考えの元に賛同した人が集まって、という形ですね。とはいえ、まずは足下のできることから。メンバーのスキルを使って、今伸び悩んでいて、何らかのきっかけが欲しい選手のサポートから始められたらと考えています」
設立後まもないということもあり、本格的なアクションはこれからということですが、アスリートのキャリアにおける課題改善において、軌を一にするメンバーが集まっています。治郎丸さんはそこに、アスリートの代表という形で参画していることになります。
〝わらじの3足目〟である団体の顔としての存在。「まだまだ下準備。私もまだ競技への比重が大きくて」と言うように、ゆくゆくはアスリート、コーチに続く第3のキャリアでの奮闘が伝わってくるかもしれません。

「ぶっちゃけ安定したい」。それでも……