ベケレ×キプチョゲ×キプサング……9.24「ベルリンマラソン」がドリームマッチ
Sep 22, 2017 / EVENT
Apr 26, 2019 Updated
来る9月24日、ドイツのベルリンでベルリンマラソンが開催される。今年は戦前より、男子マラソン世界記録をかけた空前絶後のドリームマッチとの様相である。世界歴代2位の2時間03分03秒の自己記録を持つエチオピアのケネニサ・ベケレ、世界歴代3位の2時間03分05秒を持つケニアのエリウド・キプチョゲ、世界歴代4位タイの2時間03分13秒を持つケニアのウィルソン・キプサングが出場する。3選手ともにベルリンマラソンでの優勝経験があり、彼らは現在の男子マラソン界で名実共に最高ランクに位置している。
この3選手はそれぞれ、この夏に行われたロンドン世界選手権のマラソンに見向きもせずにベルリンでのドリームマッチに照準を定めてきた。人類の夢、マラソンでの“サブ2”を目指したナイキのBreaking2もそうであるが、現在の男子マラソン界で起こっている革新を目の当たりするには、このベルリンマラソンの舞台がふさわしい。男女含めてこれまで10回の世界記録を生み出した世界一の高速レースであるベルリンマラソンで、2014年にケニアのデニス・キメットが出した2時間02分57秒の世界記録更新が3年ぶりに更新されるのだろうか。
2017ベルリンマラソン公式プロモーションムービー ©2017 SCC EVENTS
天下無双の絶対王者:エリウド・キプチョゲ
5月のナイキによるBreaking2のレースで42.195kmを2時間00分25秒で走破したのも記憶に新しいキプチョゲ。そこからレースに出る事無く、ロンドン世界選手権のマラソンを回避しこのベルリンマラソンに向けて調整を進めてきた。マラソンでの戦績は8戦7勝で2位が1回と、ほぼパーフェクト。今回のベルリンマラソンに向けて“BERLIN WR” (ベルリン・ワールドレコード)というメッセージが込められたTシャツが彼の為に作られるというのは、もちろん周囲の期待の表れだろう。
出典:インスタグラムのエリウド・キプチョゲの投稿より
キプチョゲの強みはなんといってもその安定感で、自由自在にレースに対応する事が出来る。Breaking2のようなスピードで押していくマラソンに加えて、ペースメーカーのいないリオオリンピックでも圧勝しているように、非常に自在性に富んでいる。今回のライバルとなるキプサングやベケレよりも若く、32歳という年齢は彼にまだまだ秘められた大きな可能性を感じさせてくれる。今回のレースではBreaking2のように彼専用のペースメーカーや給水を手伝ってくれる者はいないが、Breaking2のように前半から※高速レースになるので、今年に一度高速レースを経験している事は彼にとって非常に心強い強調材料である。
(※ペーサーが前半のハーフを60分45~50秒で通過する事が予定されている)
また、ナイキが開発したキプチョゲ専用のシューズ、ヴェイパーフライ エリートをBreaking2のレースに続いて使用するのかどうかにも注目が集まる。彼の走りの内容はナイキのシューズの評判やセールスに非常に関わってくる。キプチョゲはただのマラソン選手ではない。マラソンの世界記録更新を期待されるだけではなく、少しでも速く走りたいと願う世界中のランナーのために開発されているテクノロジーやイノベーションを世界にみせることの出来る、マラソン界における“世界最高のインフルエンサー”である。そんな強い影響力を彼は持っているのだ。
クレバーな勝負師:ウィルソン・キプサング
キプサングは過去に、マラソンでは2時間03分台を4回記録しており、マラソンにおける上位パフォーマンスの平均値は歴代最速を誇る。また人類で唯一、※マラソンでキプチョゲに勝った選手でもある。また、2017年の東京マラソンでは、後半にペースを落としたものの日本国内最高記録の2時間03分58秒という素晴らしいパフォーマンスを見せた。35歳という年齢は、日本の実業団選手で言えば“大ベテラン”にあたる年齢であるが、キプサングが2016年のベルリンマラソンで自己記録の2時間03分13秒を出したように、年齢による衰えは全く感じさせず、むしろ上昇の一途をたどっている。
(※キプサングは2013年ベルリンマラソンを2時間03分23秒の当時の世界記録で優勝)
年齢の衰えを微塵も感じさせないウィルソン・キプサング(前から2番目) ©2017 SushiMan Photography
キプサングの走りの特徴は、しなやかで無駄の無いシャープなランニングフォーム、というのが見た目の印象である。彼の内面的な部分で言えば、今までの多くのレースの経験から導かれるその判断力の正確さにある。マラソンで重要となってくる勝負所で絶妙なスパートのタイミングを導き出す。ここぞというタイミングの判断を見逃さず、勝利と素晴らしい記録を打ち立ててきた知的でクレバーな勝負師だといえる。負ける事のほうが圧倒的に多いマラソンで16戦9勝の好成績を達成することが出来たのは、彼の走力や調整力だけでなく、知的な部分を今までのレースで活かしてきた事が物語っている。
また、アボット・ワールドマラソンメジャーズの6大マラソンのうち、ロンドン×2、ベルリン、ニューヨーク、東京の計5勝を挙げており、大舞台に滅法強い。そのような事からもキプチョゲと同様に、スポンサーとなっているスポーツメーカーからの信頼は厚く、キプサングはアディダスの新製品の開発に大きく関わっている。キプサングは今年の東京マラソンで、アディダスが開発するSub-2シューズを人類で初めてレースで使用した。それから7ヶ月の月日が経ち、ドイツのアディダスの本社ではSub-2シューズのアップデートのためのテストを行っている。今回のレースではキプチョゲと同様に、彼の足元にも注目して欲しい。
新の皇帝へ:ケネニサ・ベケレ
長い陸上競技の歴史において、エチオピアが生んだ近代の絶対的な皇帝と言えば2人しか存在しない。ハイレ・ゲブレセラシエと、ケネニサ・ベケレである。ゲブレセラシエは長距離のトラック競技とロードレースにおいて両方で世界記録を幾度も更新し、皇帝の名を欲しいままにした。そのゲブレセラシエと世代交代するように長距離のトラック競技を独占したのがエチオピアの後輩のベケレである。その後、マラソンでも世界記録を更新したゲブレセラシエは、ベケレがロードレースに参加するようになってきてから数年後に現役引退をした。
ゲブレセラシエは2008年のベルリンマラソンを2時間03分59秒で走り、人類で初めて2時間04分台の壁を破った。しかし、その記録はその3年後の2011年のベルリンマラソンで、ケニアのパトリック・マカウによって2時間03分38秒に更新された。それから、マラソンの世界記録は6年もの間、ケニアの選手(マカウ→キプサング→キメット)が保持してきた。エチオピアとケニアは世界選手権やオリンピック、そして現在の世界中のマラソンのレースで“富と名誉と世界記録のタイトル”を目指して切磋琢磨してきた良きライバルである。
ベケレにとって今一番欲しいのは、マラソン選手現役最強の座だけでなく、間違いなく世界記録のタイトルである。それは、彼が現在も男子5000mと10000mの世界記録保持者である、という事実からみても、かつての※ゲブレセラシエがそうであったように、マラソンでの世界記録を手に入れる事こそが、ベケレを真の皇帝へと導く為に必要となるのである。そのような想いを持ってマラソンに転向したベケレは現在35歳。2014年4月のパリマラソンで2時間05分04秒の大会新記録で優勝、という上々のマラソンデビューを果たしたものの、その後多くの故障に悩まされる事となる。
(※ゲブレセラシエがトラック競技でもマラソンでも世界記録を手に入れた事)
2016ベルリンマラソン公式ハイライトムービー ©2016 SCC EVENTS
そんなトラックの皇帝の復活を印象づけたのが、2016年のベルリンマラソンであった。ベケレは、30km以降にペースメーカーが抜けてから、ロングスパートに出たキプサングに一時は離されるも、彼の持ち味である圧倒的なスピードを最後の最後で発揮し、キプサングを終盤にとらえた。さらにそこからキプサングを10秒も引き離したベケレは2時間03分03秒の世界歴代2位の記録で優勝。今回はベルリンマラソンのディフェンディング・チャンピオンとして、堂々とレースを迎える。
ベケレは2016年のベルリンマラソンの後に、世界記録更新を狙って1月のドバイマラソンに出場するも、スタートラインで足を引っかけて転倒してしまい、その後走り出すも途中棄権。さらに4月のロンドンマラソンに出場するも、シューズが合わずマメが出来てしまい2位に破れた。しかし、トラブルがあったなりにも後半追い上げて2位に入ったのは流石であった。今回のレースでは、転倒やシューズのトラブルを修正してくる強いベケレ=昨年の再現が見られるかもしれない。目指すものはたった1つ。昨年の自分を上回って世界記録を手に入れる事だけである。
30km以降の攻防:三つ巴の勝負の見所
今回に限った事ではないが、このベルリンマラソンにおいては新しいスターが誕生する事が多々ある。3人のベルリンマラソンの王者だけでなく、虎視眈々と次のスターを目指す東アフリカの選手を筆頭に、壮絶な先頭集団の争いとなることは間違い無い。特に、世界新記録ペースで先導するペーサーが30km以降に抜けてからの展開は、ベルリンマラソンの毎年の見所の1つである。今回は先ほど紹介した3人の30km以降のレースぶりと、その3人を意識した他の選手の動きに注目したい。
イギリスのスポーツ・ジャーナリストのエド・シーサは、マラソンのサブ2についての自身の著書の中でこう述べている。
「世界記録を狙うマラソンのレースにおいて、強力な選手が多いほど、30km以降のペースが落ち着く事が多い。世界記録が出るようなレースはだいたい強力な選手が2人いて、互いがペースを落とさずにマッチレースとなるような展開が多い」
果たして誰が一番最初に、このブランデンブルグ門に戻ってくるのだろうか ©2017 SushiMan Photography
つまり、3人が互いを意識しすぎて牽制してしまうと、ペースが落ち着くという事である。もし、世界記録を狙うのであれば、誰かが少しの犠牲を払ってまでも、そのペースを維持する為にそこそこのペースで先頭集団を引っ張る必要がある。そこで、3人以外の選手の動きが重要となってくるのだ。もし、30km以降で3人以外の選手が“大物狩り”と世界記録を積極的に狙ってロングスパートをかけてくるようだと、非常に面白いレースなるだろう。
また、昨年のレースのようにキプサングが30km以降でロングスパートに出れば、ペースの大幅な落ち込みは免れそうであるが、ベケレというライバルに加えて、キプチョゲという絶対王者の追撃を意識せざるを得ない状況になる。とはいえ、キプサングの持ち味は、ラスト数kmのラストスパートではなく、ロングスパートにある。キプサング自身はキプチョゲに競り勝った2013年のベルリンマラソンのような堂々たるレースが出来れば今回、世界記録と優勝を手に入れる事が出来るだろう。
ベケレは昨年のレースのように、常にラストスパートに自信を持っている。キプチョゲは2013年のベルリンマラソンでキプサングに破れた時よりも、確実にパワーアップした今回のレースで圧倒的な王者の貫禄をみせたいところだ。キプサングのスパートを念頭に置いたキプチョゲの勝負を決める一撃が、ベケレのラストスパートの前に決定的な差を付けられるかどうか、がポイントになってくるだろう。“そうはさせまい”とキプサングが粘ってさらにペースを上げるのか、ベケレがその競り合いを持ち前の爆発力で早い段階に決めてしまうのか、はたまた3人以外のスターの誕生となるのか。優勝タイムだけでなく、我々の想像の域を越えるレースとなりうる可能性は十分にある。
その他の見所:日本選手の奮起を
日本人選手としてベルリンマラソンに出場する選手の中で注目されるのが、リオオリンピック男子10000m日本代表の設楽悠太である。2017年の東京マラソンでマラソンデビューし、それまで40km走といった日本のオーソドックスなマラソンに向けての距離走の練習を経験していないにも関わらず、2時間09分27秒のサブテンをマラソンのデビュー戦で達成した。さらにそのレースは、前半から自重せずに積極性をみせた彼らしいスピードを活かしたレースであった。そして、そのスピードはこの秋のレースにも活かされた。9月16日にチェコで行われたばかりのウスティハーフマラソンで1時間00分17秒の8位に入り、男子ハーフマラソンの日本記録を10年ぶりに更新したのである。
2017年日本選手権男子10000mでの設楽悠太選手(ゼッケン22)©2017 SushiMan Photography
それまで、ハーフマラソンの日本記録(1時間00分25秒)を持っていた佐藤敦之のフルマラソンの自己記録は日本歴代4位の2時間07分13秒で、佐藤がハーフマラソンの日本記録を出した2ヶ月後の福岡国際マラソンで記録したものである。今の設楽悠太の調子は間違いなく良いが、ハーフマラソンの日本記録を更新して1週間後のフルマラソンだけに、その疲労があることを考慮しておきたい。とはいっても、東京マラソンでの設楽悠太の積極性を見る限り、今の低迷した日本のマラソン界に新たな兆しを見せる走りに期待したい。
世界一の高速レースと化した、近年におけるベルリンマラソンでのレースに関していえば、2016年のベルリンマラソンを経験した川内優輝はこう話してくれた。
「ベルリンマラソンのような世界記録を狙うレースでは、福岡国際マラソンなどのレースと違って、スタートしてすぐに集団がバラバラになってしまう。後ろの集団にいてもペースは上がらず、練習でのペース走のような感じになってしまう」
ベルリンマラソンでは過去に男子の日本人選手が複数回サブテンを記録してるが、それは2000年代前半までの話であって、今はベルリンマラソンの高速化が顕著である。そのような事から現在では、川内優輝が言うような、異次元の高速レースとなり日本人選手は苦戦を強いられてきた。しかし、サブテンの記録を持つ設楽悠太、佐野広明、五ヶ谷宏司に加えて、ハーフマラソンで1時間00分32秒の日本歴代4位の好記録を持つ、菊池賢人が今回のベルリンマラソンにエントリーしてきた。
さすがに設楽が、世界記録を狙う先頭集団に付いていくのは無謀と思えるかもしれないが、後半に失速するリスクをとってまでも、世界最高レベルのマラソン選手たちに挑戦できる機会はそうそうない。彼がそのような覚悟を持って、世界最高の舞台で“大物狩り”を狙って世界に挑戦する事を期待したい。いずれにせよ、設楽にとっては2度目のマラソンで、彼のマラソンへの適性を見極める良い機会となるだろう。アメリカのある陸上サイトでは、ベルリンマラソンの展望とともに、設楽を紹介する記事 (英語、日本語)が出された。
ボストンマラソンでの大迫傑の3位の快挙に続いて、ゴールドコーストマラソンでの野口拓也の優勝が、日本男子マラソン選手の海外レースにおける、今年の目立ったトピックであった。それに加えて、ここ数日では、設楽悠太がハーフマラソンの日本新記録を出した9月16日と同じ日に、ノルウェーのオスロで行われたオスロマラソンで優勝した川内優輝や、その翌日に行われたシドニーマラソンで優勝した服部翔大など日本人選手が海外レースで健闘している。ロンドン世界選手権のマラソンでは男女ともに入賞ゼロという危機的状況ではあったものの、年間を通してマラソンでこういった良い兆しが見えてきている事はポジティブに捉える事が出来るだろう。
日本ではCSのフジテレビNEXTで9月24日の16時05分より、ベルリンマラソンの放送が予定されている他、Breaking2のレースと同様に世界各国でライブストリーミングの配信が予定されている。その注目度の高さは言うまでもなく、世界中のマラソンファンや、全てのランナーにとっての世紀の一戦が始まる。日本人にとっては設楽悠太選手らの走りも気になるであろう。そして、白熱する男子の優勝争いでは、人類の夢であるマラソンのサブ2に向けて、一歩一歩確実に次のステージに向かうキッカケを目撃出来る事となるだろう。