2017年7月4日

パン屋・自衛官からプロトレイルランナーへ、奥宮選手が語る「山のマナー」

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近年、人気を博してきているトレイルランニング。山の中を走る爽快感が最大の魅力で、取り組み始めるランナーも年々増えてきている模様です。しかし山の中を走るがゆえに、ランナーのマナー不足が指摘されることも少なくありません。

そこで今回は、プロトレイルランナーとして数々のセミナーを主催している奥宮俊祐選手にお話を伺い、2015年に日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)を制した経歴や独立までの経緯、初心者が気を付けるべきマナーや常備するべきアイテムなどをお聞きしました。

2015年に「FunTrails」を立ち上げて独立

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――2015年の3月に独立し、プロランナーとして活躍する奥宮選手。まずは独立のきっかけを教えてもらってもよろしいでしょうか

以前はパン職人から自衛官、その後に会社員もやっていたんです。会社の仕事と平行してトレランの個人的な仕事も受けていたのですが、それが両方とも中途半端な感じになってしまいまして……。広島など中四国の仕事も多くて、ある時現地のメンバーに「これ、やっておいて」とお願いをしていたら、いつまで経ってもやってくれなかったことがあったんです。「何でやってくれないんだよ。もっと本気でやってくれよ」と思ったこともありましたが、「俺自身も本気じゃないじゃん」って思ったんですよね。

自分が本気じゃないのに、相手に本気を求めるのは違う。ということに気づき、会社の仕事かトレランの仕事か、どちらかに全力投球しなきゃいかんなと思った時に、「じゃあトレランの仕事をするか」と(笑)。

――独立するにあたって、収入的な不安はなかったのですか?

すごくありましたよ。でも自分でちょこちょこトレランセミナーとか、ロードでのランニングセミナーをやっていたので、「大体これくらい人が集まると、これくらいの利益があがって、これだけの経費が掛かる」というのが見えていたんです。これくらいセミナーを主催して、これくらいプロデュースのレースがあって……とやっていけば多分食っていける。捕らぬ狸の皮算用的な目論見があって、それを1年間の表にして、妻を説得しました。

――独立当時はお子さんもおられたのですか?

すでに3人いました。だから妻はやっぱり心配していましたね。私も心配だったのですが、「とりあえず3年間やらせてくれ」と。今現在2年3ヶ月経ちましたが、なんとかやっていけていますね(笑)。独立した当初のことを考えれば、ちょっとずつ成長できているのかな。1番最初はパソコン1台で自宅から始めて、そのうちコンテナ倉庫を借りて、去年の10月には事務所を借りて、今年の3月には会社を法人化して……。夏にはスタッフが1人入る予定です。

――現在はどのような事業内容なのでしょうか

セミナーと、レースの主催(プロデュースも)と、メーカーの契約金と、たまに出演させてもらうメディアの出演が中心ですね。FunTrailsで主催しているトレランセミナーは月2回。あとはレースプロデュースが月に1回くらい。夜の練習会(ロード)は月に1~2回ですね。この練習会は2012年から始めていまして、会社員時代から続けているんです。

「パン屋・自衛官からプロトレイルランナーへ、奥宮選手が語る「山のマナー」」の画像インタビュー当日の夜にも練習会があったそうで、背中には必要な用具がぎっしり詰まっている

――奥宮さん主催のレースは全国にどのくらいあるのでしょうか

小さいのも入れると、5つくらいかな。それとは別に私がプロデュースしているレースもあるんです。※奥宮さんプロデュースの「三原白竜湖トレイルラン」は、トレイルランナー・上田瑠偉選手のデビュー戦でもあります。詳しくは以下の記事へ

箱根出場が叶わなかった学生時代~トレランに出会うまで

――奥宮さんは学生時代に陸上競技をされていたそうですね

はい、中・高・大とやってきました。とにかく「箱根駅伝を走りたい」という思いで続けていましたが、結果的にその夢が叶うことはありませんでした。

実は高校生の頃から心臓に違和感がありまして、ずっとそれが大学時代(東海大)まで続いていたんです。その時は原因がわからなかったので、「お前の気持ちが弱いんだ」と周りから言われて……。だんだんと走るのが嫌になったんです。結果的に不整脈だったことが社会人になってからわかるのですが、当時はその影響でインターバル練習などをこなすことができなかったんです。

――大学卒業後からトレイルに目覚めるまでの過程を教えてください

大学卒業時は就職もうまくいかない、箱根も走れない、と自己嫌悪に陥っていました。「もうやめた!!」と、まったく違う道に進もうと思い、パン屋さんでパン職人として働きだしたんです。

でも入って2ヶ月で親会社が潰れてしまい、ちょうどその頃に大学時代の先輩から声がかかっていたこともあって、自衛隊に入隊することになりました。それが大学卒業してから半年後のことです。

「パン屋・自衛官からプロトレイルランナーへ、奥宮選手が語る「山のマナー」」の画像大学卒業後は2ヶ月間パン屋で働いていた奥宮さん 写真提供=ご本人

――自衛隊には何年ほど在籍したのでしょうか

約8年間いました。その間に子供も3人生まれて、安定した道を進める状況にいたわけです。

――再び走り始めたのはいつ頃でしょうか

自衛隊は入隊後に半年間訓練があるので、1年くらいブランクがあるんですよね。でも、自衛隊の中に持続走訓練隊というのがありまして、そこで走り始めたんです。

――1年間もブランクがあって、走れるものなんですか?

いや、最初は自分の体じゃないみたいでしたよ(笑)。パン屋さんの時には全く走っていなかったし、毎日のように自分が作ったパンを食べて、しかもタバコも吸っていたんです。自衛隊に入って、風呂で自分の体を見て「なんだこりゃ!」って(笑)。体重も今より7~8㎏ほど少なくて、ガリガリに痩せていたんですよね。でも半年間の訓練を経て、逆にムキムキになっちゃいました(笑)。

――そもそも奥宮選手がトレランに出会ったのはいつ頃なのでしょうか

自衛隊の時に、『富士登山駅伝』という大会に出ていて、僕は毎回ロード区間の3区を担当していました。山を走る5区は別の先輩が担当していて、その先輩が毎回順位を落とすんです(笑)。そうしたら「来年はお前が5区を走れ」ということになりまして、走ってみたら思いのほかいい成績で……。そこで初めて山の適性を感じたんです。

その後、「ハセツネ走ってみろよ」と言われ、初めて出たのが13回大会(2005年)。鏑木(毅)さん、横山(峰弘)さんらトップランナーたちと走らせてもらって、3番に入ることができたんです。そこから10年以上もハセツネの因縁が続いています。
※その後、奥宮さんは『ハセツネCUP』において毎回上位に食い込み、2015年に念願の初優勝を遂げました。

「トレランは登山と一緒」マナーを忘れてはいけない

「パン屋・自衛官からプロトレイルランナーへ、奥宮選手が語る「山のマナー」」の画像Photo by Shou Fujimaki

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