自己ベストは「2時間18分55秒」の45歳。利根川裕雄さんが11年連続の東京マラソン出場へ
Feb 24, 2017 / MOTIVATION
Apr 26, 2019 Updated
日本におけるランニングブームのさきがけとなった東京マラソン。その大舞台に第1回から全て出場しているランナーがいる。長野県在住の市民ランナーの利根川裕雄さんだ。利根川さんは自身が持つ数々のマスターズのアジア記録だけでなく、今までに数々の偉大な記録を打ち立ててきた。それ故に、同じ頂を目指す日本の市民ランナー達から大いに尊敬されている。
今となってはプラチナチケットともいえる東京マラソンに、利根川さんは第1回から10回連続で連続出場を果たしている。そして、今年で11回目の出場を果たす。大らかな人柄からは想像出来ないほど努力を惜しまないその姿に魅了されたものも多い。利根川さんのこれまでの素晴らしい功績を振り返るとともに、皆に愛される、そのキャラクターを紐解いてみる。
同じ長野県出身の上田瑠偉選手とスタート前に談笑する利根川さん (左) photo © 2017 SUSHI MAN
金字塔を打ち立てた超人
2017年2月の守谷ハーフマラソン。中央学院大学の選手と競り合う利根川さんがいた。45歳にして、アップダウンのあるこのコースで1時間08分31秒のマスターズ45~49歳の日本新記録を樹立した。利根川さんにとっては一体幾つ目のタイトルとなるのだろうか。走り終わって、開口一番「今日は頑張りました!」緊迫したラストスパートを必死の形相で駆け抜ける姿は毎度御馴染みだ。
利根川さんにとってここ数年は「年齢の衰えを少しずつ感じ始めてきた」という。特に秋までのトラックレースからロードレースへの移行期間でうまく走れなかったり、記録が伸び悩んだりと利根川さんが今まで積み上げてきた例年のイメージとは少し違っていた。それでも、この守谷ハーフマラソンでは地力を見せつけ、45歳にしては考えられない好タイムで、大学生と互角に走り抜いた。
2017年2月5日の守谷ハーフマラソン。45歳にして1時間08分31秒を記録した利根川さん (右) photo © 2017 SUSHI MAN
長野県出身の利根川さんは、高校時代に陸上競技部に所属し、400m、400mハードル、800m、4×100mリレー、4×400mリレーに出場するランナーだった。800mで全国インターハイに出場したものの予選落ち。その後は市民ランナーとして徐々に距離を伸ばし、1500mで長野県の精鋭たちと切磋琢磨を重ねた。その頃、利根川さんは結婚。そのあと子供を授かった。それからは子育てに時間を割く毎日を送った。
20代後半から30台半ばまで、家族のために尽くした利根川さん。その間も走る事はやめなかったそうだが、練習量は多くなかった。その後、子供が成長し、少しずつ自分の時間を持てるようになってきた利根川さんは、練習量を増やしていく。日頃の厳しい練習に加えて、長野県のレベルの高い同士に囲まれ、20代にやり残したことを取り戻すかのように着実にレベルアップを重ねていった。長野県では、春の長野マラソンや秋の諏訪湖ハーフマラソン、そして長野県縦断駅伝などレベルの高い大会が多く、利根川さんはその度に一歩ずつ積み上げていった。
「長野には実業団がないので、その分市民ランナーみんなで高めていこうという意識が各々にあって、その土台もあってここまでこれました。」
守谷ハーフマラソンでのラストスパート。大学生と競り合う利根川さん (ゼッケンA204) photo © 2017 SUSHI MAN
利根川さんは平日毎日の通勤ランを基本としており、本人曰く「自分で走る距離のほうが、車で走る距離よりも多い」という。車社会の長野県において、これほどクールな発言が出来るランナーは少ない。週末は強度の高い練習を春〜秋はトラックでスピード練習、ロードレースのシーズンはロードで走り込む。春〜秋はトラック種目を主に取り組み、秋冬は駅伝やハーフマラソン、フルマラソンへとシフトチェンジする。30代後半から常にその流れを自らの体に覚え込ませてきたのである。その中で、スピードを磨く事で自己記録を大幅に更新し、秋からも徐々に走行距離を伸ばしていって、フルマラソン仕様に体を作り込んでいく。
その絶え間ない努力の末、利根川さんは41歳で5000m14分15秒34のマスターズアジア記録、42歳でマラソン2時間18分55秒のマスターズ日本記録の“金字塔”を打ち立てた。超人的なタイムである。そういった華々しい昔を振り返って利根川さんは「38歳や39歳の頃の練習が一番出来ていました。それでも、41歳や42歳で記録を出せた事はたまたまで、逆に30代後半でのレースで普段の練習の成果をうまくレースで発揮出来なかった感じですね。」と振り返った。
そんな超人的な利根川さんだが、