箱根駅伝・マラソンは「通過点」、トレイルに没頭する荒木宏太さん
Feb 02, 2017 / MOTIVATION
Apr 26, 2019 Updated
2017年はロンドンで陸上の世界選手権(通称:世界陸上)が行われますが、皆さんはトレイルランニング界でも世界選手権が行われているのをご存知でしょうか? 世界陸上は2年おきですが、トレイルの世界選手権は毎年開催され、今年は6月にイタリアで行われます。
日本は前回大会から参戦し、最高成績は大杉哲也選手の24位。しかし今回その成績を超えるべく、野心を燃やしている男がいます。その男の名は「荒木宏太」。昨年末に世界選手権の代表内定を射止め、かつては山梨学院大学在籍時に箱根駅伝にも出場したエリートランナーです! 現在は地元の熊本県を拠点に活動しており、近年はトレイルランニングの世界ですばらしい成績を残し続けています。
箱根駅伝を走るほどの実力者がなぜトレイルランの世界へ? 彼がトレイルに没頭する理由とは一体? 今回はそんな荒木さんの人物像を探るべく、お話を伺いました。
目指すは日本人過去最高成績!
――2016年はSTY(40㎞地点で中止。地点トップ)、ハセツネCUP(70㎞)3位、熊野古道トレイルレース(50㎞)優勝など好成績が続きましたが、改めて荒木さんにとって2016年はどんな年だったでしょうか。
ちょうど前の年(2015年)に大きい故障があって、ほぼ1年間走れない苦しい思いをしたんです。走れない中でも「絶対がんばってやる!」という思いを持っていたので、それが2016年に結果として表れて、良かったなと思います。
――今年6月に行われる世界選手権の代表にも内定されましたが、元々荒木さんの中では目標とされていたのですか?
はい。元々2016年の世界選手権(ポルトガル)を目指していて、その選考レースにエントリーをしていたんです。でも、それが熊本地震の1週間後(4月24日)だったので、それどころではなかったんですよね。体調は万全だったし、私の住んでいる所(熊本県和水町)はあまり影響はなかったんですけど……。残念ながら「見送り」というかたちでポルトガルの大会は諦めました。
その後3ヶ月してから新しい情報が入ってきて、その次の年のイタリア大会の選考が熊野古道、ハセツネで行われると。「優勝すれば無条件で内定」というのを聞いて、2017年大会の日本代表を目指すことにしました。
――男子の日本人最高成績は24位ですが、その順位を超えることが、荒木さんの目標になるのでしょうか
もちろんです! もっと上位にいきたいという思いもあります。イタリアのレースは50㎞で行われ、累積標高が2700mくらいと聞いているので、自分としても1番得意なコースだと思っています。
箱根駅伝、マラソンは〝通過点〟
箱根駅伝の創設者であり、荒木さんが「同郷で憧れのランナー」と話す金栗四三さんの記念パネルと
――荒木さんといえば、箱根駅伝でも活躍されて、陸上競技のエリートを突き進んできました。そういう選手がトレイルで活躍されているのは珍しいのではないでしょうか?
自分の場合はトレイルランというのが、箱根駅伝やマラソンの〝先〟にあるというイメージなんです。確かに、陸上やマラソンで活躍できなかった方が、トレイルに活躍の場を移している現状ではあります。よく聞かれるんですよね。「荒木さんは何で箱根駅伝にも出ているのに、トレイルランに出ているの?」って。それは、箱根駅伝やマラソンを〝通過点〟でしかないと考えていたからですね。
――では、最初からトレイルにいくということを考えていたのですか?
そうですね。〝走る〟ということに楽しみを見つけたいという思いがあったのかもしれません。やはり陸上競技やマラソンは他人と争う競技なので、シビアな雰囲気もあります。トレイルランは陸上とは違って、純粋に楽しむ競技性があるので、そこに出会えたのは大きいですね。
――そもそも陸上を始めたのはいつ頃なのでしょうか?
小学6年生くらいです。親と一緒に走るペアマラソンというのに参加して、そこで優勝したのがきっかけですね。それまでは何にもスポーツとかもやっていなかったのですが、自宅から小学校までの距離が4㎞くらいあったので、それを毎日往復2時間かけて歩いたことで足腰が鍛えられていたのかもしれません。
悔しさをバネに成長した中学・高校時代、そして念願の箱根ランナーへ
――中学から陸上部で活動されたそうですが、当時はどのくらいで走られていたのでしょうか
中学では3000mが9分14秒ですね。全中標準(全国大会に出場できる標準タイム。当時は9分7秒00)には少し届かなかったんですよね。悔しくて、「高校ではもっと頑張ろう」と思いました。その時に熊本県の駅伝強豪校である鎮西高校からお誘いがあって、進学を決めました。
鎮西は先生の自宅での住み込み生活なのですが、本当に3年間は修行みたいな生活でした(笑)。そこで厳しく社会性など競技面以外でも学ばせていただき、人間的にも成長できました。
――高校時代の思い出に残るエピソードはありますか?
競技面だと、大会があった日に朝練をして、レースを走って、その結果が悪かったからと言って、帰り道を30㎞くらい走らされたんですよ(笑)。しかもそれで終わりかと思ったら、もう1回練習があったという……(笑)。タフさと精神面はそこで鍛えられましたね。
個人では南九州大会までは行ったんですけど、インターハイには行けなくて悔しい思いをしました(当時の5000m自己ベスト14分34秒)。駅伝でも2時間7分20秒で九州学院に負けたんですよ(※2時間7分20秒はその年の全国高校駅伝12位相当の好タイム)。だから全部惜しいところで逃している感じはありますね。
――その悔しさが次のステージへのモチベーションになったわけですね。当時の山梨学院大学はどんなチームだったのですか?
留学生もいて、全国から120名ほどの部員が集まっていました。日本人も佐久長聖高校(長野)などの強豪校からたくさん来ていました。自分が在籍していた時は箱根駅伝で総合2位にもなりましたし、優勝を争うような強いチームでしたね。
大学4年時の箱根駅伝
――そんなチームの中で、2年目には全日本大学駅伝、4年目には箱根駅伝を走って活躍されました。大学駅伝というものについて、荒木さんはどのように捉えていたのでしょうか。
やっぱり三大駅伝(出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝)の中でも箱根駅伝は特殊で、全日本よりも位が高いイメージがありますね。「全日本」と名前は付きますが、箱根はみんなが一番出たいと思っている大会。それに対する執着みたいなものを120名全員が持っているので、自分もその例外ではありませんでした。しかも箱根駅伝といえば、同郷の金栗四三さんが創設された大会なんです。だから、どうしても1回出たいという気持ちがありました。
――箱根は4年目に4区を走られましたが、念願の箱根路はいかがでしたか?
テレビで観るよりもアップダウンが多くて、タフなコースだなと思いましたね。周りの沿道の声も(他の大会とは)全然違いました。やはり正月に行われる大会ですから、特別感みたいなものがありましたね。
後編へ続きます
プロフィール
トレイルランナー荒木宏太 ~熊本から世界へ をテーマに走り続ける箱根出身ランナー!~
出身:熊本県和水町
生年月日:1984年5月22日(32歳)
経歴:三加和中学校→鎮西高校→山梨学院大学(法学部)→自衛隊体育学校→日本郵政→地元熊本へ
在住:熊本県和水町
家族:妻と子ども3人
契約スポンサー:アシックス
サポート:ウルトラスパイアー(ザック)、江崎グリコ株式会社「POWER PRODUCTION」、オンヨネ(コンプレッション)、ニューハレ(テーピング)
戦績
2006年 出雲駅伝 2区出場
2004・2005年 全日本大学駅伝 3区
2007年 箱根駅伝 4区
2009年 上海東レハーフマラソン 3位(招待出場)
2011年 河口湖マラソン 2時間22分22秒 優勝 (自己ベスト)
2012年 ベルリンマラソン 招待出場
2012年 西丹沢アドベンチャートレイル 優勝 (トレイルランをスタート)
各地方レースの優勝を次々獲得
2014・2015年 ASICSのプロモーションでフランスへ。日本代表として選出
2016年 熊本城マラソン 2位
2016年 STY 70㎞・・・40㎞地点で中止 地点トップ
※世界のグザビエ選手(仏)と共演!
2016年 ハセツネCUP 70km 3位
2016年 熊野古道トレイルレース 優勝 イタリア世界選手権出場権獲得!
2017年 イタリア世界選手権で日本人過去最高順位を目指す!
荒木宏太さんのFacebookページ https://www.facebook.com/kota.araki.runner/