部活動という存在に疲弊!? 日本と海外で異なるスポーツの接し方

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「部活動という存在に疲弊している。」

このように感じている人は、想像よりも多いのかもしれません。

人生を豊かにするはずの部活動ですが、それがあるがために疲弊している人たちが、少なからずともいるのです。それは教員だったり、また、学生だったり……。今回は、そんな日本の部活動の問題点と、海外との違いについて考えてみたいと思います。

昨今、「ブラック部活顧問」として、教員にとって部活動の顧問が負担となっていることが、様々なメディアで報道されています。ただでさえ忙しい教員のお仕事。そんな中、半ば強制的に部活顧問を担当することがあるのです。いったん引き受けてしまったら、平日の夜遅くまで引率するだけでなく、土日休日の多くも部活動に時間を取られてしまいます。一体、いつ休んでいいのやら……。そんな状況を変えるため、教員たちが「これはブラックだ」と認め、声をあげるようになりました。

一方で、2017年に入って、ニュースサイトwithnewsの記事『「この部活動は長すぎる!」 ブラック練習、変えさせた父親の執念』が話題となりました。長時間にわたる活動のせいで、帰宅後ぐったりとして寝てしまい、深夜に宿題をするお子さんの姿を見て、学校側に練習時間の調整を試みた父親の記事です。

活動時間が長すぎるブラック部活は、教員側の負担もありますが、子どもたちの健全な成長を期待する保護者にとっても、無視できない問題となっているのです。

こういった長時間にわたる厳しい練習環境は、皆さんにも心当たりがあるのではないでしょうか。日本の部活動は、「より長時間、より厳しい環境でトレーニングをするべき」という古い考え方が、まだまだ蔓延しています。

また、そういった厳しさの延長から、指導者と生徒の間柄もよりシビアなものに。大切なのは、まず躾。指導者への服従です。練習中に笑顔を見せることはNGとされ、当然、指導者への口ごたえもできません。その躾は私生活にまで及び、服装や髪形にまで細かく指示されることも。なかには、最新のトレーニング方法を取り入れ、理論的に指導する教員もいますが、まだ少数のように感じます。

日本の部活動は、そういった厳しい環境の中で、まじめに取り組み、そして、結果を残し続けることが美徳とされてきました。ですので、大きな大会にでる時も「楽しんできます」は許されない空気となっており、「必ず結果を残す」と自分を追い込む癖がついているのです。そういった空気は、オリンピックに出る選手でも感じているよう。

元ハードル日本代表選手の為末大さんが感じる閉塞感

以前、取り上げた元ハードル日本代表選手の為末大さんの記事からも、その空気は伝わってきます。為末さんは、オリンピックに挑む日本人選手には、ある種の影の部分があると語ります。

『何せ、自分のペースを取り戻そうと、「オリンピックを楽しんできます」とは簡単に言えない空気が蔓延しているのですから。実際に「楽しむ」と言葉にした選手に、バッシングが集まったこともありました。

試合前のコメントは、まるで「決意表明」。選手は口々に「結果を残す」「必ず勝つ」などと言わざるを得ず、自分を追い込むことに。そして、試合に負けた時、結果が出なかった時、「申し訳なかった」と謝罪するのです。」』

楽しくて始めた競技のはずなのに、いつの間にか失敗が許されない環境に。そう自分を追い込むばかりでは体が硬くなってしまい、その選手のもつ実力がすべて発揮されないことも。

為末さんが選手村で見た外国人選手は、日本のそれとは一線を画していました。「国を背負わない」という雰囲気を醸す選手もいたようです。

「海外の選手たちには、国を背負っているという悲壮感が少なかった。むしろ『楽しんでやっている』ように見えた。その姿は『自分らしくそのまま行きゃいいよ』というノリに近い。もし、本当に苦しくなった時は、天を仰いで祈るだけ。神に自分を預けるような、そんな人もいた。なんともシンプルなのだ」(自著『「遊ぶ」が勝ち』より)

そんな競技を楽しんでいる外国人選手の方が、逆に素晴らしい結果を残したりするのです。

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海外ではスポーツは「楽しむもの」と理解されている

日本で部活動は厳しさがつきものですが、海外ではスポーツというものは「楽しむもの」とされています。「ヨーロッパ文化におけるスポーツの意味は、楽しむことや遊ぶことを意味する『遊戯』が近い」と、フリーライターの田端慶子さんは自著『九州びいき』の中で語っています。なんといっても「チェス」をスポーツと見なしている文化ですからね。

いま、部活動を離れ、社会人になってランニングを楽しんでいる方は、このスポーツの感覚に近いのではないでしょうか。積極的に体を動かすことで心も体もフレッシュな状態に。もちろん、健康や美容にも良い影響を与えます。全員が修行僧のように結果だけを求めているわけではないですよね。

今後、学校の部活動もこのような「スポーツ」として整理されていくのではないでしょうか。

「スポーツが文化として浸透すれば、部活を、ただ楽しくやりたいと望む生徒が増えるだろう。両者を受け入れざるを得ない学校の指導者たちは、あらゆる局面で限界を感じるはずだ。外国でクラブ制が促進したのは、運動に対するとらえ方が、日本と違ったからである。それぞれが求めるレベルを提供するには、クラブ制しかあり得ないのだ」(同書より)

これからスポーツの環境が整うにつれ、こういったクラブチームが増えるかもしれませんね。

学生時代に日本の「部活動」を経験し、いま、社会人になって「スポーツ」を楽しんでいるラントリップマガジン読者はどのように考えていますか。

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