「ナイキVSアディダス」しのぎを削る世界記録争い!! ナイキが工学的アプローチで“サブ2”を本気で狙う

人類はマラソンで2時間を切る事が出来るのだろうか?

大きな議論を巻き起こして来たマラソン“サブ2”の壁。その問いへの第一歩となるべく、2016年12月12日に米ナイキ社は男子マラソンの”サブ2″プロジェクトを発表。”Breaking2″と名付けられたこの“2”は、マラソン2時間00分00秒の壁を破る事を意味している。現在の男子マラソンの世界記録は、ケニアのデニス・キメット選手が2014年のベルリンマラソンで記録した2時間02分57秒である。

男子マラソンのサブ2議論の始まりは、アリゾナ大学でランニングに取り組んでいた、現在は麻酔学の教授であり研究者であるマイケル・ジョイナーが1991年に「ジャーナル・オブ・アプライド・フィジオロジー」誌に掲載した論文がきっかけである。

ジョイナーは乳酸性作業閾値、ランニング・エコノミー、最大酸素摂取量それぞれの、考えられる限りの最大値が揃えば、気候条件やコース形態のよいマラソンで人類にとっていったいどれぐらいの最高記録が将来出るのかを予測した。それは“1時間57分58秒”というタイムだった。この論文が発表された当時のマラソンの世界最高記録は2時間06分50秒であった。

「「ナイキVSアディダス」しのぎを削る世界記録争い!! ナイキが工学的アプローチで“サブ2”を本気で狙う」の画像photo © 2017 SUSHI MAN

男子マラソンの世界記録の更新はめざましく進んできた。男子マラソンの日本記録は14年半もの間塗り替えられないままであるが、特にこの9年間は、4人の選手によって5度の世界記録更新が行われた。ハイレ・ゲブレセラシエ (2007年、2008年)、パトリック・マカウ (2011年)、ウィルソン・キプサング (2013年)、デニス・キメット (2014年)。しかもその全てがベルリンマラソンでの記録更新であった。また、2011年のボストンマラソンではジョフリー・ムタイが非公認記録ながら2時間03分02秒で優勝し、男子マラソンのタイムを押し上げ、サブ2への夢を一歩ずつ手繰り寄せた。

さらに、2016年は世界記録更新とはならなかったものの、ロンドンマラソンではエリウド・キプチョゲが2時間03分05秒の世界歴代2位 (当時)の記録で優勝、さらにベルリンマラソンではエチオピアのケネニサ・ベケレが2時間03分02秒の世界歴代2位の記録で優勝。さらなる世界記録更新への期待を膨らませた。

マラソンランナーの“何”が変わったのだろうか?

現在の男子マラソンの世界歴代25傑を見てみると、全ての記録がこの9年間の間のレースで記録されたものであり、近年の男子マラソンにおける高速化を象徴している。また、その男子マラソンの世界歴代25傑の全ての選手がケニアかエチオピアの選手である。これらのマラソンの高速化はペースメーカーによる恩恵が大きく、ポール・テルガトがベルリンマラソンで世界記録を更新した2003年頃からその傾向が強まった。その恩恵を大きく授かったのがハイレ・ゲブレセラシエである。それまでのマラソンの世界記録の更新は純粋な勝負や駆け引きによるものだけであった。

2013年の秋の時点でハイレ・ゲブレセラシエ、パトリック・マカウ、ウィルソン・キプサング、デニス・キメットの4人によって2時間3分台に突入したと思えば、その翌年2014年には記録は2時間2分台へと更新された。その4人の共通点は“アディダスの契約選手”あるということだ。彼らの記録達成の大きな要因は何か?普段の厳しいトレーニングの継続、レースでのペースメーカーの精密さ、またシューズの改良等が挙げられる。

このようにトレーニング法、レースの諸条件は年々改善されアスリートの記録向上をサポートしてきた。特にシューズの改良はアディダスだけでなく、ナイキも大きくそのテクノロジーや開発費用をかけて新しい商品の提供に尽くしてきた。しかし、本当にそれだけで、記録が向上した理由となり得るのか……。それでは、なぜ日本の男女のマラソンの日本記録はしばらく更新されていないのだろうか…..。

「「ナイキVSアディダス」しのぎを削る世界記録争い!! ナイキが工学的アプローチで“サブ2”を本気で狙う」の画像ケニアのイテンで質の高い練習に励む選手達 photo © 2017 SUSHI MAN

今回のナイキのサブ2への夢は、人類が初めて月面着陸した時の挑戦のようなものであり、陸上競技の歴史にとってはロジャー・バニスターの再来でもある。1954年にイギリスのオックスフォード大学の医学生であったロジャー・バニスターがイフリー・ロードの大学のトラックで、人類で初めて“1マイル4分の壁”を破った (3分59秒4)。それまで、多くの選手がこの1マイルのサブ4の壁を突破する事に挑戦してきたが、幾度となく彼らの夢は果たされなかった。

「人類が1マイル4分で切って走るという行為を行うと絶対に死ぬ」と考えていた学識者も当時に存在した。しかし、ロジャー・バニスターが“1マイル4分の壁”を破ったことにより、それから数年後にかけて1マイルのサブ4を突破する選手が続出した。「アイツに出来るなら、俺も出来る」それはアスリート達によって1マイル4分の壁が可能であるという“心理の壁”が破られた事の証明でもあった。今ではアメリカの高校生も1マイルのサブ4を達成している。

話をマラソンのサブ2に戻すと、サブ2を出すにはそういった心理の壁が破られる必要がある。サブ2ペース – 1マイル4分34秒、1km2分50秒ペース。単純に、ハーフマラソンで1時間を切るタイムである。記録は少しずつではあるが縮まってきてはいるが、サブ2を意識出来るところまで来ているとは言えない。心理の壁が破られるのはまだまだ時間がかかりそうだ。

南アフリカの科学者、ロス・タッカーは、近年のメジャーなマラソン大会においてペースメーカーによるペース配分の技がほぼ完璧に近いところまで磨き上げられたと考えており、サブ2を見られる日は“ない”と持論を展開している。

工学的なアプローチの“Breaking2”

「マラソン競技の可能性を本気で探りたいのであれば、世界のトップランナー達をアスファルト道路から解放するべきだ。IAAF (世界陸連)の規定により、マラソン競技は“一般的な道路”で行わないといけない、と定めていることが最大の問題である。」とイギリスのスポーツジャーナリストであるエド・シーサは自身の著書で述べている。また「サブ2はマラソン界のエベレストだ 」とも。そのエド・シーサはナイキのBreaking2の取材を行う一人でもある。

ナイキは5月にイタリアのモンツァのF1サーキットでサブ2レースを行うと発表した。これは“一般的な道路”ではないコースは周回コースであり、カーブは競輪のトラックのように緩やかなバンクになっており、またサブ2レースの先導者はテスラ電気自動車で操縦するF1ドライバーである。そして、サブ2ペースでテスラのモーターカーはレースを先導する。

これまで、シューズの開発やウェアの開発などにテクノロジーを注いできたナイキが、工学的なサポート、つまりコースの形状という部分の発想を大きく変えようとしている。これは一般的なロードレースというより、記録会のような形式に近い。レースの当日は多数のペースメーカーがケニアのエリウド・キプチョゲ、エリトリアのゼルセナイ・タデッセ、エチオピアのレリサ・デシサのサブ2への挑戦をサポートする。ペースメーカーの役割はペースを作り出すだけでなく、選手の風よけのためでもある。サブ2を達成させる為にはすべてがうまく考えられているのである。

アメリカのランニングメディアであるランナーズワールドの4月11日の記事によると「ナイキのサブ2レースは5月6, 7, 8日のいずれかの日にモンツァのF1サーキットで行われる。天気の週間予測を見て、気象条件がベストな日をレースの1週間前に選び、開催日を決定する。また、イタリアの5月初旬は、湿度が低く、風が弱く、曇りの日が多い。その時期の平均気温は約12.2℃。」このように気象条件やコースを選択しているような事からも、モンツァでのサブ2レースはIAAFに批准されているが公認記録にはならない見込みである。

サブ2レースの日にはその様子がライブストリーミングされる予定だ。ゴールデンウィークの終盤、人類の夢であるサブ2への挑戦から目が離せないであろう。

Breaking2の詳細はこちら

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