登山隊4人が亡くなった「マッターホルン初登頂時」に見られた“怪現象”【夏のラントリップ候補地〈スイス・ツェルマット〉】

「登山隊4人が亡くなった「マッターホルン初登頂時」に見られた“怪現象”【夏のラントリップ候補地〈スイス・ツェルマット〉】」の画像

世界的な名峰の一つ、マッターホルン登頂の滞在先となるツェルマット。この街もまたラントリップしたくなる雰囲気を漂わしています。今回はそんなツェルマットの街をご紹介します。

まず、スイス・チューリヒ空港に向かい、鉄道でフィスプに移動。その後は氷河特急やローカル線で終点のツェルマットを目指すのが一般的なルートです。そもそもこの鉄道の旅が楽しい。ヨーロッパは鉄道が発達しているので、どの地域にも気の向くまま自由に旅することができます。車窓から眺める景色は、その国よって違ったものに。私が乗車した氷河特急では、いつまでも続く山々や、鉄道に沿って流れる川、ひっそりと生活している平和そうな村などを見ることができました。

「登山隊4人が亡くなった「マッターホルン初登頂時」に見られた“怪現象”【夏のラントリップ候補地〈スイス・ツェルマット〉】」の画像

ツェルマットは、一般車両の乗り入れが禁止されている街ですので、レンタカーを利用する場合はひとつ隣の駅・テーシュに止めることとなります。

駅前には、観光局があるので便利。フリーWi-fi環境が整っており、ホテルやレストランで困ることはほとんどありません。宿は5つ星の高級ホテルが存在感をしめしつつも、バックパッカー御用達のドミトリーや山小屋が充実。私が宿泊した小ぶりなホテルでは、とても綺麗で朝食つき。パンやチーズ、ハムなどを好きなだけ楽しむことができました。

「登山隊4人が亡くなった「マッターホルン初登頂時」に見られた“怪現象”【夏のラントリップ候補地〈スイス・ツェルマット〉】」の画像

そして、何よりもこの街から見上げることのできるマッターホルンが美しい。この素晴らしい街の見どころを独占している存在で、そこにあるだけで説得力のある標高4478mの名峰です。

この名峰は長い間、登頂を拒み続けた山としても有名です。というか、この絶壁に本当に登った人がいるのかと驚いてしまうのですが……。初めて登頂されたのは1865年の頃。すでに8回も登頂を試みたイギリスの登山家、エドワード・ウィンパーは、新たな登山隊と共に挑戦した9回目で、何とか登頂することができたのです。

同登山隊は、全員無事に登頂することができたのですが、下山時に悲劇が起こってしまいました。その時のエピソードが書籍『山の不可思議事件簿』で紹介されています。

「登山隊4人が亡くなった「マッターホルン初登頂時」に見られた“怪現象”【夏のラントリップ候補地〈スイス・ツェルマット〉】」の画像

「午後3時、ミッシェル・クロを先頭に、全員がザイルで数珠つなぎになって下っているとき、ハドウが滑落、クロが引き込まれ、ハドソン、ダグラス卿が次々と転落。結び合っていたザイルがダグラス卿とタウグワルダー親子との間でプッツリ切れた。4人はアッという間に2000mもの奈落の底へ墜ちていった」(同書より)

残されたウィンパーとタウグワルダー親子は呆然。その場から動けなくなってしまったのです。その後、何とか自分を取り戻して下山を続けた3人ですが、驚くべき光景を目の当たりにしました。幻影です。

彼らが歩く上空に、「大きな十字架」の幻影が二つ現れたのです。彼らが移動してもこの十字架に変化がなかったことから、ブロッケンの可能性は無さそうで、未だにこの謎は解明されていないようです。

人間と自然との関係は、まだまだ説明のできないものがたくさんあります。時に厳しい態度を見せる自然ではありますが、その一方で、そこから動くことのできない圧倒的な美しさを見せることもあります。

そんな自然との関係が近くなるのがツェルマットの街。壮大な自然の中、謙虚な気持ちを思い出してこの街にラントリップしてみませんか?

「登山隊4人が亡くなった「マッターホルン初登頂時」に見られた“怪現象”【夏のラントリップ候補地〈スイス・ツェルマット〉】」の画像

ワニの左手が書いた新着記事
RUNTRIP STORE MORE
RANKING
「COLUMN」の新着記事

CATEGORY