高校クロスカントリー走のシーズン終了。改めて考える高校生が走る意味

大切な仲間の存在

幸いなことに、息子はモチベーションを絶やすことなく、最後まで走り続けた少数派の1人になった。同じように4年間一緒に頑張った仲間たちとの絆は、一生の財産になるだろう。ずっと指導してくれた監督とコーチには、親として感謝の気持ちしかない。息子の高校クロスカントリー走は終わったが、ぼくは息子のように思い出深い高校生活を送れる生徒を1人でも多く育てられるように、これからも弱小高校チームの監督として頑張るつもりだ。クビにならなかったら、の話ではあるけれど。

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4年間お世話になった監督と。

米国の高校スポーツは、シーズン制だ。クロスカントリー走が秋に終わると、殆どのランナーは春から始まる陸上競技のトラック走に移る。フィールドや距離は異なるが、長距離走を専門としていると言っていい。息子はこれまでレスリングやテニスといった長距離走とは違うタイプのスポーツを冬と春のシーズンにやっていたのだけど、最終学年の今年は陸上競技をやるそうだ。だから、クロスカントリー走の仲間たちとは6月に卒業するまで一緒に走ることになる。

なるべく違うタイプのスポーツを数多くやるべきだという考えで、息子には色々なスポーツを奨励してきたぼくとしては、少し残念ではある。あるいは、自分が本当に好きなものは長距離走だと見つけたのかもしれないし、ただ単に仲間と離れたくないのかもしれない。それに、クロスカントリー走も陸上競技も男女が一緒に練習する数少ないスポーツだ。ひょっとしたら、グループ内に気になる女の子でもいるのかもしれない。まるで爆風スランプの『涙の陸上部』みたいな話だけど、それも高校生としてはアリかなとは思う。動機が何であれ、本人が充実した高校生活を最後まで送れたら、親としてそれ以上望むことはない。

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