「自分らしく走るため」プロになった下門美春選手が孤独と戦う理由

競技者という鎧を脱いだ下門選手は、しばらくは解放感に浸った。
テレビでマラソンや駅伝を見ることもなかった。だが、陸上をやめて1年が過ぎた頃、「自分の体を持て余している感じがするようになった」という。

ハーフマラソンで日本歴代3位の記録を持つ、コニカミノルタの宇賀地強選手と話をする機会があったのは、そんな時だった。練習ではとことんまで自分に挑んでいる、と聞かされた下門選手は、第一生命時代を振り返り、もっとできたのでは…という思いに駆られた。

「与えられたメニューをこなすので精一杯だったところはありますが、自分で工夫することがなかったので…マンネリ感があったのは、ただこなしていただけだったからかもしれません」

自分らしく走れなければ、復帰した意味がない

「「自分らしく走るため」プロになった下門美春選手が孤独と戦う理由」の画像再び陸上への情熱が頭をもたげてきた下門選手は、その年(2013年)11月の東日本女子駅伝に、栃木チームのスタッフとして帯同。大会で再会した第一生命の山下佐知子監督(日本陸上競技連盟・2020年東京オリンピックナショナルチーム女子強化コーチ担当)の理解を得て、しまむらに移籍という形で、2014年の春に復帰した。

とはいえ、ブランクを取り戻すのは生半可なことではなかった。走っていなかった約2年の間に、体重は15㎏も増え、筋力も落ちていた。下門選手は、全体練習の後も1人で黙々と走り、時に5時間、バイクを漕ぎ続けた。

「もう必死でしたね。会社からは、秋の段階でしっかり走れる状態でなければ、翌年の契約はない、と言われていたので」
まともに走れるようになるまで、4か月近くを要したが、秋口の記録会では、5000mを15分台で走り、完全復活を印象づける。駅伝の表舞台へも返り咲いた。

しまむらでカムバックを果たした下門選手は、マラソンへの挑戦を始める。2016年の青梅マラソン(30キロ)の女子総合で優勝を果たすと、2017年の第6回大会名古屋ウィメンズマラソンでは6位と健闘。マラソンに専念するため、その年からニトリへと移った。

だが、やがて、組織の一員であることにジレンマを感じるようになり、「チームという枠組みを超えて勝負したい」という気持ちがふくらんでくる。
「なんのために復帰したのか…と考えるようになって、〝自分らしく〟走れなければ、復帰した意味がない、と」
自分らしくあるために、下門選手はプロになることを決断した。「年齢的にも今しかない、というのもありました」。

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