ボストンマラソン3位・大迫傑が国内初マラソンに挑む!! 今週末・福岡で見せる姿は
Dec 01, 2017 / COLUMN
May 03, 2019 Updated
photo ©2017 Benjamin Weingart (Heartbreak Hill Running Company)
2017年4月17日。ボストンマラソンで初マラソンを走り終えた大迫傑が日本マラソン界の歴史に新たな1ページを刻んだ。日本では平日の深夜にも関わらず、多くの人がCS放送やライブストリーミングで彼の“みなぎる闘志”を目に焼き付けた。
レース終盤になるにつれて白熱するレース。初マラソンとは思えない堂々たる勇姿。そして、達成された大迫傑のボストンマラソン3位の快挙。その瞬間に日本の多くのマラソンファンが感動した。今もなお進化し続ける大迫傑。国内初マラソンとなる福岡国際マラソンでその強さを日本のファンの前でみせることが期待される。
春のボストンマラソンからこの11月にいたるまでを振り返る。
日本の大迫傑は世界のSUGURU OSAKOに
ボストンマラソンは1897年からの歴史を誇る世界で最も歴史の深いマラソン大会である。今年の大会当日のボストンの街の熱気は凄まじく、街全体が2013年に発生した爆弾テロを乗り越えて、マラソン大会で一つになろうとする姿がとても印象的であった。レース当日、日本では深夜にも関わらずたくさんの声援が送られていた。
そして、レースはスタートした。当日の気温は、レースを走った者が言うには“ボストンマラソンの長い歴史の中で2番目の暑さ”と言われたぐらいの気温。大迫やチームメイトのゲーレン・ラップだけでなく、たくさんの市民ランナーたちも帽子を着用していた。レースが進むに連れて人数が絞られていく。中盤、大迫は集団の後方でレースを進める。周りにいるライバルたちはこれまで数々の世界のマラソンで実績を残してきたトップクラスの選手たちであった。
この中で堂々と日本人選手がレースを進めている。日本のマラソン界の復活を願うファンとっては実に喜ばしい光景だった。大迫がこのボストンマラソンで快走した理由の一つは“彼自分の適正ペース”で走ったことにある。レース中は数多くの駆け引きやコースのアップダウンがあった。ポイントとなったのは32km以降の心臓破りの丘を見据えた地点でのペースアップの場面。その状況で大迫自身が自分のペースを保つ判断がとっさにできた判断力は実に素晴らしい。 自分にとっての無理のないペース判断、自分の体との対話を初マラソンにして会得してしまうあたり、彼はマラソンのセンスを持っている。
24.5マイル (39.4km) 地点の動画 ©2017 Hongmei Li(※音声が出ます)
30〜35kmを15分30秒で我慢し、その後の5kmは下りとはいえ15分07秒。この35kmからの5kmのラップタイムの15分07秒は驚異的である。単純に下りだからとってスピードが上がるわけではない。むしろ、序盤の下りで一度叩いた脚には、心臓破りの丘を経た頃には“おつりがなくなっている”ことのほうが多い。ボストンマラソンのコースを走った経験のある者なら、この35kmからの5km: 15分07秒の価値をより理解できるだろう。
そして迎えたゴール地点。優勝したケニアのジョフリー・キルイ、大迫のチームメイトでリオオリンピック男子マラソン銅メダリストのゲーレン・ラップに次ぐ2時間10分28秒のタイムで大迫が3番目にゴールテープを切った。東京マラソンがワールド・マラソン・メジャーズ(WMM)に加入した2013年から、ロンドン、ボストン、ベルリン、シカゴ、ニューヨーク、東京マラソンの世界6大マラソンで3位以内に入った男子の日本人ランナーは存在しない。いつも通り、アフリカ系のランナーが上位を独占して… そんな固定概念を初マラソンで大迫は打ち壊した。
photo ©2017 Ken Conway Photography
2時間10分28秒のタイムについては、①気温の高いコンディション ②ペースメーカのいないレース(=先頭集団はペースの変動が激しい) ③後半に堪えるボストンのコース、この3つを考えるとサブテン相応であるのは間違いない。この場合は、タイムの価値を考えるよりも、まずは世界6大マラソンでの“3位”という順位を基準に、大迫は十分に“素晴らしい走り”をしたと考えるべきだろう。
優勝したケニアのジョフリー・キルイはその後の8月のロンドン世界選手権のマラソンで金メダル。2位に入ったアメリカのゲーレン・ラップはその後の10月のシカゴマラソンで、アメリカ生まれのアメリカ人として35年ぶりに優勝。大迫はキルイに49秒、ラップに30秒しか離されなかった。さらに大迫は、この11月のバレンシアマラソンを2時間05分15秒の大会新記録で優勝したケニアのサミー・キトワラに、ボストンマラソンで競り勝った。
渾身のラストスパート photo ©2017 Benjamin Weingart (Heartbreak Hill Running Company)
大迫のラスト1kmのランニングフォームは、過去に見たことの無い彼の懸命な動きそのものであった。歯を食いしばりながら必死に前に進もうとしている姿。前に、前に進もうとしているその気迫は彼の強いハートを全面に押し出していた。 大迫は結果だけでなく、人を惹き付けるモノを持っている。マラソンとは、体全体で苦しみを乗り越えるスポーツだ。光を手に入れるか、暗闇をさまようかは自分次第なのだ。大迫の走りは“SUGURU OSAKO”の名を瞬く間に世界のマラソンファンに向けて轟かせた。
進化をみせた網走の熱帯夜
マラソンで力を付けた大迫は、トラックの10000mでもその進化をみせた。まずは、6月の陸上の日本選手権。大迫は10000mに出場し、2連覇がかかる大一番にボストンマラソンから2ヶ月あまりの短期間の調整で臨んでいた。それでも、
「自分の走りをすれば優勝できると信じて走った」
と、レース後に話した大迫の、みなぎる自信はその素晴らしい走りにあらわれていた。中盤以降のライバルたちのスパートに対して、ボストンマラソンでもみせた冷静な判断力はこの日本選手権でも冴えており、大迫は余力を残したまま日本選手権10000mの2連覇を達成した。昨年は、長い時間をかけて日本選手権を目標に調整をして頂点に立ったが、今年はボストンマラソンからの臨戦過程で頂点に立った。これは、大迫の地力強化の表れと、日本のトップクラスの長距離選手の勢力図のなかで、大迫が頭一つ抜けていることを意味している。
大迫は日本選手権の10000mで2連覇を達成した後、7月13日に北海道の網走で行われたホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会の10000mに照準を定めた。このレースで大迫は、8月のロンドン世界選手権の10000mの参加標準記録である、27分45秒を切ることを目標にして、ロンドン世界選手権での飛躍を目指した。しかし、結果は“27分46秒64”と、参加標準記録にあと1秒64及ばなかった。レース後、会場では誰もが大迫の無念の表情とともに落胆の様子をみせるなか、大迫は言い訳を一切せず、
「次に向けて気持ちを切り替えて、また頑張ります」
と、潔く話した。
佐久長聖高校の先輩の上野裕一郎(左)が大迫を引っ張る場面も Photo ©2017 ryori_mom
この日の北海道の網走は、日中の気温が34度まで上がる異常気象。湿度も高く、大迫が走った夜でも気温は25度までしか下がらなかった。マラソンや長距離走は気象条件に影響を大きく受ける種目である。この27分46秒64という記録は素晴らしい記録であるが、気象条件を考慮すれば“日本記録(27分29秒69・村山紘太・2015年11月)を越えるパフォーマンス”であったといえるだろう。この場合も、ボストンマラソンと同様に“記録ではなく順位”でその価値を見るべきである。ボストンマラソンのように多数のケニア人選手に混じって※2位に健闘したことは賞賛されるべきであり、マラソンを経て進化をみせた大迫の最高の走りであった。
(※結果・大迫傑公式HPより)
歯を食いしばる渾身の走り Photo ©2017 ryori_mom
【大迫のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会後の投稿より引用】
“応援ありがとうございました!
観客から、そして同じトラックで走ってる選手からここまで応援されながら走った事はありませんでした。
残念ながら1秒と少し、参加標準記録を突破する事は出来ず、世界陸上ロンドン出場は叶いませんでした。
またしっかりと練習をするのみです!
そして、ボストンが終わってハードな練習を継続し、体と心を整え、ここまで仕上げてこられた自分自身を誇りに思います。マラソンから移行する事でトラックに生きるマラソンの動きを得ることができました。
またサポートスタッフにも感謝しています。
日本長距離は5000,10000と出場選手0ですが、中身を見ると一人一人は確実に進歩はしているのではないかと思います。
上がる前にはしっかりと沈み込まなければいけない。自分自身、また日本長距離がこの先にジャンプアップがある事をイメージして今後練習に励んでいきます”
日本長距離界のエースの勇姿を福岡で
大迫にとっては福岡国際マラソンが2回目のマラソンとなる。この大一番が彼にとっての今後を占う試金石となるレースであるが、日本のマラソン再建への一歩を示す舞台となる可能性は高い。大迫は夏にアメリカに戻って練習を再開した。
B.A.A.ハーフマラソンの9マイル(14.4km)地点 Photo ©2017 Hiroshi Nohmi
10月08日には“練習の一環として”ボストンでのB.A.A.ハーフマラソンに出場し、3連覇を達成したケニアのダニエル・サレルに9秒差で敗れたものの、秋の初戦を悪くないかたちでまとめた。その後、大迫はボルダーで本格的な高地合宿に入った。そのボルダー合宿の合間を縫って大迫が11月05日に出場した、アリゾナ州フェニックスでのフェニックスハーフでは62分15秒の大会新で優勝。このレースはトップレベルの大会でないことからスタート後から大迫の独走となったが、単独走でこの大会新記録の優勝は、堂々たる走りだといえる。
その後、ボルダーに戻り仕上げに入った大迫。ボストンマラソンの前にも同様にボルダーで長期合宿を行っており、その時の良いイメージを持ったまま福岡に乗り込んでくるだろう。マラソンでも10000mでも今シーズンの日本選手のなかでは一番のパフォーマンスをみせた大迫。日本選手権10000mで2連覇の実力、ボストンマラソン3位の実力、灼熱のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会“27分46秒64”の実力。現在の日本長距離界のエースの実力は、福岡の地でも存分に発揮される可能性が高いだろう。
「自分の走りをすれば優勝できると信じて走った」
レース後に、再びその言葉を彼の口から聞けることに期待したい。