子供の「どこ行くと?」に「よーいドンの練習」と返事。熊本の元国体チャンプが挑むトレラン競技
May 05, 2017 / MOTIVATION
Apr 26, 2019 Updated
熊本企画第3弾は、熊本県菊陽町在住のトレイルランナー・森本幸司さんへのインタビュー。かつては山岳競技で国体チャンピオンに輝き、ロードでも九州一周駅伝の熊本県代表に8年連続で選出された経歴を持つトップアスリートです。
そんな森本さんがトレイルランニングに魅了されたきっかけとは何だったのか。そして震災を機に感じたこととは……。二児の父親でもある異色のランナーにお話を伺いました。
「山岳競技とは何ぞや?」
――いきなり失礼な質問になってしまいますが、山岳競技ってかなりマイナーな競技だと思うんですけど、トレイルランニングとはどう違うのでしょうか。
ゆっくりとしたトレイルというイメージよりは、急こう配なところを登って行って、スタートからゴールまでのタイムを競います。距離的には5㎞くらいで、ほぼ登りっぱなしですね。今でいう「バーティカルトレーニング」みたいな感覚かな?大体ゴールタイムが60分~70分くらい。高校生は10㎏、社会人は17㎏とか15㎏の重りを背負って走っていきます。
――なるほど。確かにトレイルとも違う異質な競技ですね。ちなみに山岳競技の前は何をされていたのですか?
小学校、中学校、高校と走るのは学校の中では速くて、自然と長距離をやっていた感じですね。中学校では野球部だったんですけど、駆り出しで駅伝には出ていて、3年間掛け持ちでやっていました。高校に入ってからは陸上部に入ったけど、全然大したことは無かったです。5000mのベストも16分10秒くらいの選手でした。
山岳競技では、スタート前に背負う重りを計測する (写真提供=ご本人)
――そこから山岳競技に移られたそうですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
高校3年生の次の年(1999年)に地元・熊本で国体が開催されるということで、その前の年に「山岳競技に出てみないか」と、高校の顧問の先生から声がかかったんです。でもその当時は「山岳競技とは何ぞや?」という感じだったので、話を聞いてみると、とにかく荷物を担いでスタートからゴールまでのタイムを競うレースだと。チームとして、3人の合計タイムを競うものだと。そこで初めて山岳競技を知ったんです。
予選会では成績が割と良くて、僕が高校3年生の時が神奈川国体だったんですけど、そこに代表として選ばれて、そのまま優勝することができたんですよね。
山岳競技に挑む森本さん(左)、写真提供=ご本人
――競技転向1年で国体優勝はすごいですね……。翌年の熊本国体はどうだったんですか?
高校卒業後は今の職場(熊本県内)に就職することができ、高卒で働き始めました。熊本国体を目指していましたが、クラスが少年から成年へと変わってしまうこと、成年には何年も前から強化してきた選手がいたことから、結局選手として出場することができなかったんです。
大会には少年男子のコーチとして携わることができたのですが、その時に裏方業務を経験して、「やっぱり自分は走る方がいいな」と。高校卒業後はしばらく走るのを辞めていたのですが、「もう1回走ろう」と思うきっかけになったんです。
目標は国体出場から九州一周駅伝へ
九州一周駅伝を走る森本さん(写真右) 写真提供=ご本人
――熊本国体後は選手としてどのような活動をされていたのですか?
熊本国体後は、「また次の年の国体からは選手として出よう!」と思い、もう1回走り始めました。そうしたら高校生の時よりどんどん記録が伸び始め、5000mは走るたびに10秒ずつくらい速くなっていきましたね。フルマラソンも社会人1年目(19歳)で初めて走り、20歳の時には2時間36分くらい(延岡西日本)、3回目(21歳)には2時間28分(防府読売マラソン)くらいで走っていたのかな。
もちろん山岳競技にも並行して出場しており、国体にはその後5~6回出場しました(最高成績は2005年岡山国体の3位)。ちなみに、当時山岳競技で一緒に国体に出ていたのが、今ではトップトレイルランナーの鏑木(毅)さん、松本大ちゃん、奥宮(俊祐)さん、望月(将悟)さんとか。当時はみんな山岳競技に出ていたんですよ。
山岳と並行して陸上の記録もどんどん伸びていき、「じゃあ次は」となった時に、九州一周駅伝を目標にしたんです。2006年には熊本県代表に初めて選ばれ、その後2013年までずっとメンバーに選出していただきました。その頃には山岳競技が国体から無くなってしまったこともあり、当時は山よりもマラソンや駅伝に力を入れていたんです。
トレランが新たな目標を与えてくれた
海外遠征時のひとコマ(右から2人目) 写真提供=ご本人
――そこからトレイルに移行するまでは、どのような経緯があったのですか?
実は2013年に九州一周駅伝が終了することになりまして、そこで「もう1回山を走ってみようかな」と、ふと思ったんです。その後はトレイルに本格参戦しつつ、フルマラソンにもたびたび出て、今に至るという感じですね。
九州一周駅伝を8年間がんばってきた中で、最後の方は精神的にもきつくなって、だんだん選ばれることの〝義務感〟というのを感じていました。1年間そのために努力をして、予選会を通過して、という流れがだんだんしんどくなってきまして……。九州一周駅伝が終わるというのを聞いた時に少しホッとして、「これでもう少し自由にできるかな」と思ったんですよね。そんな時にトレランと出会って、また新たに目標ができたというか、駅伝とは違う方向に導いてくれました。
トレランって順位だけじゃなく、とにかく自分がどうやって楽しんで走るか、みたいなところがあるんです。それがすごく楽しくて、気持ちよくて。それを経験したことで、自分の中でスイッチが切り替わったんですよね。
熊本県はトレイルランニングに最適な大自然の宝庫
あとはやっぱり元々山岳競技をしていたから、それが無かったらトレランはやっていなかったかもしれません。熊本はトレランをするのに絶好な自然がありますし、車で30分ほど走ればそこそこ登れる山がありますからね。
トレラングッズが震災時に役に立つ!?
――熊本地震について伺いたいのですが、森本さんがお住まいになっている菊陽町も大変な被害にあったとお聞きしました。実際はどのような状況だったのでしょうか。
自分自身の生活は割とすぐ電気や水も復旧して、家も何ともなかったんです。でも周りの被害状況を見ると「自分は走っている場合じゃないな」と率直に思いましたね。
でもそう思ったのは最初の2,3日で、いろんな震災の情報が入ってくるうちに、逆に「起きたことは仕方がない。あとは自分がどうしていくかの方が大事」だと。最初は「ヤバいな」としか思えなかったのですが、だんだん状況がわかるにつれて開き直ったという感じですね。
――地震後は練習場所に影響は無かったのですか?
普段ランニングをしている場所には影響がなかったです。でもフルマラソンの前にやっていた距離走のコース(「パークドーム熊本」を拠点とした35㎞の自作コース)は、益城町や西原村など被害の酷かったところを通るので、そこは使えなくなりました。
あと山に関しては、普段メインに使っている俵山は被害があって、9月くらいまでは入れなかったですね。道も寸断されていて、自然の驚異を感じたというか、すごく怖かったのを覚えています。
距離走のコースに含まれる益城町は、地震によって甚大な被害を受けた
――地震があって、何か考え方は変わったりしましたか?
1番は、いかに普段が幸せかに気づけたこと。走ること以外でも、普通に家があって、食べるものがあって、練習場所があって、練習できる仲間がいて……。それが改めて「ありがたい」ことだと実感できました。
――震災を経験して、地震対策として「こうしたほうがいいよ」ということがあれば教えてください。
そうですね……。いろいろありますが、やはり身の回りの備蓄というか、非常時の水とか、最低限のものは持っておいた方がいいですね。僕が今回の震災の時に強く思ったのが、トレランをやり始めるとアウトドア用品を身につけるようになるんですけど、それが意外とかなり役に立つんです。ヘッドライトはトレランをやってないと持っていませんでしたし、ウェアも暖かくて水も通さないなど性能がいい。
あとは身の回りの整理整頓はした方がいいですね! タンスの上にモノを置かないとか、揺れで落下事故を防ぐために常にスッキリさせておく。今回の地震で我が家の食器もすごく割れましたから……。
子どもが認識できるくらいまでは頑張りたい
インタビュー前、仲間とともに8000mのペース走を行う森本さん(右から3人目)
――森本さんの今後の目標を教えてください
陸上でいうなら少しでも自分の自己ベストを更新するためにチャレンジできればいいかな。トレイルに関しては、今まで80㎞くらいまでしか出たことがないので、5月の「阿蘇ラウンドトレイル」(約110㎞)で初めて100㎞レースに出て、来年の「UTMF(ULTRA-TRAIL Mt.FUJI)」(約165㎞)につなげたいですね。今年の秋には「ハセツネカップ」(71.5km)にも出るので、今シーズンはそこも目標です。
将来的には、もう少し子どもが自分の走っている姿を認識できるくらいまではがんばりたいですね。上の子が3歳くらいなのですが、今でも「どこ行くとー?」「よーいドンの練習に行ってくるよ」という会話をしたりしているので、もう少し理解してくれればいいなと思います。本当は速くてかっこいい方がいいのかもしれないですけど、今はとにかく「長く続けたい」という気持ちが強いですね。
プロフィール
森本 幸司(もりもと こうじ)
1980年12月27日生まれ。36歳。熊本県菊陽町在住。高校時代まで陸上部に所属していたが、顧問の薦めで山岳競技に転向し、高校3年時の神奈川国体(少年の部)でいきなりの優勝。高校卒業後は駅伝とマラソンを中心に活動し、九州一周駅伝には8年連続(2006年~13年)で熊本県代表に選出される。現在は山岳競技の経験を生かし、トレイルランニングに活躍の場を移している。
<主な戦績>
1999年 神奈川国体山岳競技少年男子 優勝
2005年 岡山国体山岳競技成年男子 3位
2013年 えびの高原エクストリームトレイル30km 優勝
2014年 三原・白竜湖トレイルランレース(35km) 優勝
2015年 STY(80.5km) 2位
2015年 えびの高原エクストリームトレイル(60km) 優勝
2017年 天草観海アルプストレイルラン(25km)優勝
<自己ベスト>
5000m 15分07秒32(2005年)
フルマラソン 2時間23分41秒(2014年 福岡国際)