ドキュメンタリーとして観る”フルマラソン2時間切り”への挑戦【ナショジオ×ナイキ】
Oct 10, 2017 / COLUMN
Nov 06, 2017 Updated
5月6日土曜日午前5時45分(現地時間)、イタリアのモンツァのF1サーキットで、エリウド・キプチョゲ、ゼルセナイ・タデッセ、レリサ・デシサの3人が、コース内の2.4kmのループを1つの夢に向かって走っていた。これは、準備に数年もかけて行われた、マラソンを1時間59分59秒で走るという壮大なゴールに向けての挑戦だった。
3人のアスリートの参加が決まり、風洞実験装置やスポーツ研究所でのテストから、東アフリカでの日常生活、そしてフィニッシュラインを切るまでの道のりが、ナショナル・ジオグラフィック・スタジオとナイキとの共同制作による1時間のドキュメンタリー”Breaking2″にまとめられた。フィルムは人間の偉大な能力を見せながら、全力をかけて不可能を可能にするための挑戦によって結びつけられた3人の超人的アスリートたちの心の動きを追っている。
それぞれの新たな夢を求めて
エリウド・キプチョゲ、ゼルセナイ・タデッセ、レリサ・デシサ、この3人の選ばれしアスリートは、それぞれ違ったキャリアを経て、このモンツァのスタートラインに立っていた。
2016年8月のリオオリンピックのマラソンで金メダルを獲得したエリウド・キプチョゲは、※現役最強のマラソン選手として満を持してこのスタートラインにやってきた。このドキュメンタリー”Breaking2″の動画でも確認出来るが、キプチョゲは世界のメジャータイトルを嫌と言うほど手に入れてきたケニアの大富豪(豪邸に住んでいる)であるが、基本的にオフの日曜日以外は、彼が所属するグローバル・スポーツのトレーニングキャンプで同じ目標に向かう同士達と寝食を共にしている。
(※キプチョゲは、このBreaking2の4ヶ月半後の9月のベルリンマラソンで現役最強をさらに象徴付ける走りで優勝)
トレーニングキャンプでの規則正しい生活、名コーチのパトリック・サングコーチによる厳しいトレーニング、さらにトレーニングキャンプでは狭い部屋で生活し、トイレ掃除も雑用も行う。彼はどんなに有名になろうが、どんなにマラソンの実力を付けようが、そこに一切の慢心は無く、このシンプルな生活を自ら長い間ずっと好んでいる。そして、ただただ次なる目標、 “未だ見ぬ人類のマラソンのサブ2への夢”に向けてハングリーにトレーニングに打込んでいるのだ。その修行僧のようなストイックな生活は、このドキュメンタリー”Breaking2″の動画でもしっかりと確認する事が出来る。
“Marathon is Life” – “マラソン・イズ・ライフ”という彼自身の言葉が、マラソンと真剣に向き合うキプチョゲの姿、そのものである。Breaking2でのキプチョゲの2時間00分25秒という結果は、記録に挑戦する全てのマラソンランナーに勇気を与え、各々のレースやトレーニングでの葛藤、そしてそれらを経て“自分の壁をいつか突き破ること”の大切さを我々に教えてくれた。
エリトリアの英雄、ゼルセナイ・タデッセの青春時代は、18歳でパリ世界選手権の5000mで金メダルを獲得したキプチョゲの青春時代とは一味も二味も違う。タデッセはその歳の頃“自転車の選手になりたい”という夢を、“自転車を買うお金が無かった”という理由によって捨てざるを得なかった。そして、新たな夢へと走り出していた。来る日も来る日も自転車ではなく、自らの体で走る事に専念し、気づいた頃には※キプチョゲと同じく、2004年のアテネオリンピックで銅メダルを獲得するまでに成長していた。
(※アテネオリンピックでは5000mでキプチョゲが銅メダル、タデッセが10000mで銅メダルを獲得した)
タデッセがアテネオリンピックで獲得したその銅メダルは、タデッセの祖国であるエリトリアに、オリンピックでの初めてのメダルをもたらした。その日からタデッセはエリトリアの英雄となり、その後ハーフマラソンで世界記録を2度も更新。世界ハーフマラソン選手権では5回も優勝し、“ハーフマラソンの鬼”として世界一の頂を幾度となく手中に収めた。しかし、タデッセにとってのマラソンはとても過酷なものであった。そのようなハーフマラソンでの素晴らしい実績を持っているのに、過去のマラソンでは一度もサブテンを達成する事が出来ていなかったからだ。それは、マラソンで“給水をとっていないこと”が原因とされており、それについては、このドキュメンタリー”Breaking2″の動画で触れられている。
「Breaking2チームとともに、自分の課題を知る事によって、もっともっとマラソンの記録を縮められる」
タデッセは自分に秘められたマラソンの可能性を捨ててはいなかった。人類の夢、サブ2への飽く無き挑戦が契機となり、彼自身に秘めるポテンシャルを引き出すキッカケとなったのだ。新たな夢を見つけたタデッセはBreaking2のレースで、中間地点までを60分少々のサブ2ペースで通過し、その後ペースを落としてしまったものの、2時間10分41秒という従来の自己記録に対して、2時間06分51秒と初めてサブテンの壁を破る事を非公式レースながらも達成した。
エチオピアのレリサ・デシサは、競技レベルが極めて高いエチオピアのトラック競技においての実績は皆無であったが、自身のキャリアの早くからマラソンへの才能を見出していたマラソンマンである。デシサは2013年のドバイマラソンでマラソンデビューし、2時間04分45秒の初マラソン世界歴代3位(当時)の記録で優勝し、上々のマラソンデビューを果たした。その勢いで、その後のボストンマラソンで優勝。この2013年のボストンマラソンでの優勝は、デシサの人生を2つの意味で大きく変えた。
1つは、デシサがWMM(ワールドマラソンメジャーズ)のタイトルを手に入れたことである。現代において、WMMのレースを制するということは、マラソン選手として“とても栄誉ある称号を手に入れた”という事になる。それによってさらなるモチベーションを手に入れる事を意味し、その結果、デシサはBreaking2へのスタートラインへの切符を手に入れる事が出来たのだ。2つ目は、デシサが優勝した2013年のボストンマラソンのゴールラインで起こってしまった爆破テロの出来事にある。
その様子については、このドキュメンタリー”Breaking2″の動画で確認する事が出来る(デシサの話のオチについては、この記事ではネタばらしをしないので動画を是非ご覧になってください)。デシサがマラソンを通じて、彼の場合はボストンマラソンでの出来事を通じて、ボストンの人たちや世界中の人たちに勇気と希望を与えたことは間違いない。爆破テロから立ち直った今のボストンマラソンには、“ボストン・ストロング”という標語があり、それによって、ボストンマラソンの当日はボストンの街が一つになっている。これは綺麗事のように聞こえるかもしれないが、デシサのようにボストンマラソンを走れば、ボストンマラソン当日のボストンの街の一体感や、その雰囲気を体験する事が出来るだろう。
そのようなマラソンを通じての感動的な出来事を、ボストンや世界中で身を以て体験したデシサ。彼が、ボストンの人たち以外にも、世界中のランナーやマラソンファンに夢を与える瞬間が、このBreaking2の舞台となったのだ。
「自分の走りで世界中の人々を感動させたい」
デシサのその奮闘ぶりが、この動画で確認する事が出来る。
1マイルあと1秒
このドキュメンタリー”Breaking2″の動画では、サブ2に挑戦する3人のアスリートの普段の練習の様子とその素顔、ナイキ本社でのテストの様子と、科学的サポートの可能性、アスリートだけでなく、サブ2の夢に向かってディスカッションを重ねる少数精鋭のBreaking2プロジェクトチームの様子に迫っている。そしてレース当日の様子も含めての、終盤のクライマックスは必見である。
エリウド・キプチョゲが記録した2時間00分25秒。人類の夢サブ2まで、あと26秒。26.2マイル(42.195km)のマラソンにおいて、1マイルごとに、あと1秒短縮すれば達成可能な夢である。ナイキとナイキアスリートによるサブ2への挑戦は今回の挑戦で終わりでは無い。まだ、幕を開けたばかりだ。その26秒をけずりだす、まだ見ぬマラソンのサブ2への飽く無き挑戦。Breaking2プロジェクトの今後の展開に期待したい。
ドキュメンタリー”Breaking2″は、YouTube(31言語で放映。Youtubeの言語設定から日本語字幕にする事が出来る), Facebook, NationalGeographics.com, EST, TVE とVODなどの、ナショナルジオグラフィックの各種デジタルプラットフォームから視聴する事ができる。
【ナショナルジオグラフィックYoutube:Breaking2】
https://www.youtube.com/watch?v=V2ZLG-Fij_4
【Nike Breaking2 projectの詳細】
https://www.nike.com/jp/ja_jp/c/running/breaking2