大迫傑・神野大地・設楽啓太ら参加の「福岡国際」で、川内優輝はどう立ち向かう!?

12月3日に第71回福岡国際マラソンが開催される。

今大会の注目は何と言っても、今年のボストンマラソンで初マラソンながら3位という快挙を達成した大迫傑の参加である。さらに、この福岡でマラソンデビューを控える神野大地や設楽啓太などの、若くてフレッシュな箱根駅伝のスター選手たちを、30代の川内優輝や佐々木悟らのベテランのマラソン日本代表選手らが迎え撃つ。

海外招待選手も例年ながらに強力で、日本の実業団からは今年のロンドンマラソンでマラソンデビューを果たし、見事3位に入ってマラソンへのポテンシャルをみせたDeNAのビダン・カロキが優勝候補に名を連ねる。そのなかでも、今回は川内優輝にスポットライトを当てて、彼の素顔や彼を支える人たちの姿に迫る。

覚悟の福岡:逆境を乗り越える“強さ”

“走る”理由は人それぞれである。

2016年の12月4日、川内優輝は自分の殻を破るために、この日のスタートラインに立っていた。鬼気迫る表情からは“現状打破”という、彼が常に掲げているテーマを感じさせていた。そのとき川内が置かれていた現状は……この福岡国際マラソンの3週間前に右ふくらはぎを痛め、さらにはレースの2日前に左足首を捻挫するという非常に厳しい状態だった。翌年のロンドン世界選手権の切符がかかっていた大一番を前に、現地やテレビで彼を見ていた誰もが“あの川内でも、さすがに今回は厳しいだろう”と思っていたに違いない。もちろん、私もその1人だった。

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Photo ©2016 SushiMan Photography どんな状況であっても恐れない走りが彼の強みである

レース当日に川内の付き添いをしていた弟の鮮輝(よしき)は、この日を振り返ってこう話した。

「毎年、兄が福岡国際マラソンのレース前に現地で行っている行きつけのカレー屋に行ったら、そのお店が無くなっていたんです。そこで食べるカレーを毎年楽しみにしていたんですけどね……ただでさえ怪我の影響があったなかで、さらにそんな状況でしたから……あぁ、もう終わったなと……レースは“完走出来たらいいよ”ぐらいに思っていたんです。そしたら、そういう悪い流れを全てぶち抜いて競技場に帰ってきました。すごいな……と。“逆境に強い”というのはこのことだと肌で感じました」

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Photo ©2016 SushiMan Photography 付き添いをした鮮輝(写真右)は兄の渾身の快走に目を丸くした

今まで、日本のマラソン界で“常識破りの男”と形容されてきた川内だが、さすがにこの時ばかりは彼に近しい人ほど面喰らったのではないだろうか。川内は自身10回目のサブテン達成となる2時間09分11秒の3位(日本人1位)でゴールテープを切り、見事にその後のロンドン世界選手権に駒を進めた。

「この福岡のレースから兄らしさを取り戻しましたね。スランプの時期もあったのでこのレースが転機になったと思います。今年の福岡国際マラソンは、付き添いではなくて私は選手として出場します。レース当日、兄と同じ場所で同じ空気感を感じることを楽しみにしています」

と話した鮮輝は、今年の福岡国際マラソンで“選手”という特等席から兄の背中を追うことを楽しみにしている。2016年の福岡国際マラソンで、川内の“覚悟の走り”を目に焼き付けたのは、弟の鮮輝や私にとっても同じことだった。

現状を打破した本物の男をそこに見た。

感謝の久喜:地元の人たちに“恩返し”

“走る”理由は人それぞれである。

2017年2月某日。私は川内優輝の背中を間近に見ながら、全力で彼と練習に取組んでいた。彼の走ることへの情熱や姿勢を肌で感じることが、私のその日の走る理由だった。

「はい!2本目!頑張っていきましょう!」

大きな声で川内が我々を鼓舞していた。この日の練習メニューは【(200m×5)×5セット+(4000m+1000m)×2セット】で、私には到底達成できるはずのないペースであった。これは川内が自身で考えたオリジナルメニューであるが、彼は練習メニューに関しても研究に研究を繰り返している。川内は特定のコーチをつけない“セルフコーチ”として競技に取り組んでいるが、フルタイムでの仕事を持っていることに加えて、セルフコーチのスタイルで結果を出し続けていることは驚きに値する。川内は陸上競技や走ることを心の底から愛している。彼と練習したことでより一層、彼への理解が深まった。

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Photo ©2017 SushiMan Photography 久喜での沿道の声援に川内の人気の大きさがうかがえる

それから数週間後、私は彼の地元の埼玉県の久喜を訪れた。彼が地元の久喜マラソンでどういう走りをするか見てみたかったからだ。川内は久喜マラソンで“鷲宮”(わしみや)と胸に書かれた中学時代のユニフォームを着用して、彼の母校である鷲宮中学のすぐ近くのホームコースを駆け抜けていた。沿道からの声援の大きさは、国際大会のような雰囲気とはまた違った温かさを感じさせていた。彼が地元で走ることには大きな意味があったし、走る理由が明確にあったことを感じた。

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Photo ©2017 SushiMan Photography 1人1人丁寧に笑顔で応対し感謝の気持ちを伝える川内

彼は一生懸命走ることで地元の人に恩返しをしていた。川内はロンドン世界選手権を夏に控えていて「この街から、久喜から日本を代表して世界と戦う」という決意を話し、久喜に集まったファンに対して一人ひとり丁寧に接していた。そこには長蛇の列ができていたがサインに応じ、それぞれに優しく声を掛けていた。

「僕も頑張ります!一緒に頑張っていきましょう!」

彼の人柄の良さと真心をそこに見た。

集中の日光:チーム川内の“最終調整”

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Photo ©2017 SushiMan Photography 弟の鮮輝らとともに人里離れた日光の奥地で走り込む

“走る”理由は人それぞれである。

7月の中旬、川内は弟の鮮輝らとともに日光にいた。“週末のみ”の集中合宿を行うためだ。「1回の練習で走る距離が大切」と話す川内は、スピードと距離をミックスさせた独自の練習計画を日光で敢行し、3日間で130km程度を走り込みながらも、2日目にはレースを想定したラストスパートの追い込みをかけていた。鮮輝は、世界選手権に向けて調整する兄の練習パートナーとして十分すぎる役目を果たしていた。

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Photo ©2017 SushiMan Photography 時間差でスタートした弟の鮮輝に必死で喰らい付く兄の優輝

「仕上がりはいいですね」弟は太鼓判を押していた。川内は「自分が走った過去の世界選手権のときの調整でのタイムよりも良く、確実に調子は良い」と話した。普段はレースで追い込みながら調整していくことで有名な川内だが、それだけではない。最後の最後は、気の知れた仲間たちと緊張感を持って仕上げていく。このやり方が“自分に合っている”と彼は信じている。

チーム川内の結束をそこに見た。

奮起の英国:三度目の正直と“日の丸”

“走る”理由は人それぞれである。

川内がそこで走る理由は“三度目の正直”であった。過去2回の世界選手権、韓国の大邱とロシアのモスクワでの惨敗。彼にとっては納得のいくレースではなかった。その後味の悪い記憶を払拭すべく、日の丸をつけてまたこの世界選手権の晴れ舞台に戻ってきたのだ。集中した様子で走る、川内のウォーミングアップを見届けた私は、その真剣な眼差しに、同志としての想いを託した。

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Photo ©2017 SushiMan Photography 弟の鴻輝(写真左)は応援団長として兄を精一杯応援した

川内三兄弟の三男である鴻輝(こうき)は、地元の久喜から応援団を引き連れて、応援団長として、このロンドンにやってきた。レースは号砲とともにタワーブリッジにさらなる華やかさを加える。レースは淀みない流れで進み、鴻輝たちの応援団も一生懸命に走る兄と同じ気持ちで一生懸命に声援をおくっていた。その後……中間地点を過ぎて、先頭から大きく離れることなく位置していた川内は転倒してしまう。それを知った鴻輝は途端に落胆の表情を浮かべた。しかし、しばらくしてから「兄貴ならやってくれるに違いない」そう思っている鴻輝がそこにいた。

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Photo ©2017 SushiMan Photography 多くの沿道の人たちも川内の粘りに感銘を受けていた

川内は終盤、諦めることなく持ち味である粘りを発揮した。結果は、入賞にあと一歩の9位。8位にはあと数秒及ばなかったものの、一時の遅れを取り戻す彼らしいレースを“三度目の正直”で果たした。ただ、あと数秒及ばなかった、だけである。勝負の世界はときに厳しく、ときに天使が微笑む。川内自身は誠心誠意、一歩一歩フィニッシュラインに向けて力を出し切った。そこに後悔はない。応援団長を務めた鴻輝は、こう話した。

「兄は力を出し切ったと思います。普通の人ならレースの途中で転倒すれば諦めてしまうこともありますが、終盤の巻き返しは流石でした」

川内の走りは印象的で、沿道の人からは大きな声援を受けていた。そして川内はゴール後、優勝したケニアのジョフリー・キルイよりも長い時間、メディアからの質問に応じていた。

世界の川内の姿をそこに見た。

世界の川内:世界中を旅する“好奇心”

アボット・ワールドマラソンメジャーズの公式アカウントでの川内優輝の紹介動画

川内優輝は世界中のランナーに知られている。アメリカでも、ヨーロッパでも、そしてケニアでも。彼が世界中を旅しているから、彼がとんでもないレーススケジュールで快走をみせるから、彼がフルタイムで働く市民ランナーであるから。様々な理由があるが、そこには彼に対する驚きと尊敬の気持ちがいつも微妙に入り交じっている。川内と話していつも思うことは、彼は本当に走ることを好きでいて、もっともっと新しい景色を見たい、と欲していることである。

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Photo ©2017 SushiMan Photography シューズを履きかえその後のトレーニングに集中する

(アボット・ワールドマラソンメジャーズの川内優輝の紹介動画より)

“私は小学1年生の時から走り始めた。父と母が毎日タイムを測ってくれた。両親は、私がトップクラスのマラソン選手になるとは思っていなかったと思う。箱根駅伝にさえも届かない選手だと思っていたと思う。高校の時に父親が亡くなって、父親は自分が成功している姿を見ることができなかった。それを、今でもすごく後悔している。母親は本当に毎日長い間サポートしてくれた。今では世界選手権を走るまでになって、ニューヨークシティマラソンのような世界のメジャーなマラソンも走れるようになった。私は、母親が自分の姿を見て誇りに思ってくれればいいと思う”

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Photo ©2017 SushiMan Photography 久喜マラソン:地元の人たちにとって川内の活躍は誇りである

“たくさんのレースやたくさんのマラソンを走っていることは本当のことで、ここ最近は年間12〜13のマラソンを走っている。調整としてたくさんのレースに出場しながら、マラソンはおおよそ2時間12分や13分のレベルで走る。これは練習としての速さであるが、レースのシチュエーションでトレーニングをすると、自分のレースの感覚が磨ける。私の場合、年に2回だけマラソンを走るようなやり方では、もっと成績は悪いだろう。私はもっと世界中の景色を見たい。世界中を回って、世界中のレースを走りたい。そして、 世界中に何が広がっているかを見てみたい。走ることで私はそれができている”

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Photo ©2017 SushiMan Photography 自らの足で世界を駆け巡り自らの目で世界を見る

川内の母である美加さんは、ここ数年の息子の成績を振り返りながらこう話した。

「優輝は今でも、世界中の大会から招待を受けて世界中に行ってますね。そうやって、今しかできないことを楽しみながらマラソンをやっています。日本の大会でも三重県とあと二つぐらいで全都道府県のマラソン大会を走ったことになるはずです。色んなところに行くのが本当に好きですからね。それでも、最近はマラソンの自己記録(2013年3月のソウル国際マラソンでの2時間08分14秒)を4年以上更新できていませんから、そろそろその壁を破りたいと思っているはずです」

今年の福岡国際マラソンも川内の持ち味が、そして“現状を打破したい”という強い想いが勝負を面白くさせてくれるだろう。川内優輝は今日も明日も、彼なりのやり方で、彼なりの目標で、彼なりの世界を見つめながら走っていく。オリンピックが目標であるか、世界のメジャーなマラソン大会が目標であるか、自己記録の更新が目標であるか、そして世界中の景色を見ることが目標であるか。それは彼にしかわからない。彼は、彼の持つ好奇心が示すままに、ただ進んでいくだけなのである。

“走る”理由は人それぞれなのだから。

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