2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話
May 08, 2017 / COLUMN
Jun 02, 2017 Updated
2017年5月6日、イタリアのモンツァで、マラソン競技に新たな歴史が刻まれた。ケニアのエリウド・キプチョゲが42.195kmの距離を2時間00分25秒で走り切ったのだ。現在の男子マラソンの世界記録は2014年にケニアのデニス・キメットがベルリンマラソンで記録した2時間02分57秒である。その記録を2分32秒も上回った。
しかし、今回のコースはイタリアのF1サーキットという現在のマラソン競技においては特殊なコースである。また、気象条件の良い日、時間帯に開催する為に、開催日やその時間帯を意図的に選んだ事実、多数のペーサーの参加ならびに給水のサポートなど、サブ2に挑戦した3人のランナーにとって有利な諸条件が多数含まれている事から、今回のこの2時間00分25秒の記録は非公認記録である。
ナイキによるBreaking2、またの名を“サブ2プロジェクト”とも呼ばれるこの壮大なプロジェクトは、マラソンで2時間の壁を破る事を目標としている。それはランナーのみならず人類の夢とも言われるほどのスケールであり、人々の注目度も高い。今回のレースで生まれた事実は、今後のマラソン競技の歴史において大きな意味を持つだろう。
この前編ではレースの回顧までの予習段階の位置付けとして、サブ2レース誕生の秘話や、サブ2レースの特徴、その裏側について記す。
ナイキのサブ2レースで42.195kmを2時間00分25秒で走り終えたキプチョゲ © 2017 NIKE
ムーンショットマラソンの始まり
時は2011年4月18日、ケニアのジョフリー・ムタイがボストンマラソンを2時間03分02秒という驚異的なタイムで優勝した。ムタイは起伏に富んだボストンマラソンで、その前年に記録された大会記録をさらに2分50秒も上回った。当時の男子マラソンの世界記録はハイレ・ゲブレセラシエが2008年のベルリンマラソンで記録した2時間03分59秒であったが、その記録を上回る快走だった。しかも、起伏に富んだコースで。レース当日、ゴール地点にいた人々は俄に信じられない気持ちだったという。世界一歴史があるマラソン大会で、そのような快記録を見た事が無いからだ。
しかし、ボストンマラソンは非公認コースである。その理由は、ワンウェイ (一方向)コースである事と、さらにダウンヒル(下り基調)コースであるということ (詳しいルールはここでは省略)である。特にワンウェイコースについては、強い追い風がレース中に吹いていればその恩恵を授かる事は容易に想像出来る。事実、このムタイの快走は彼の実力に加えて、そのような追い風の恩恵を受けたからだと言われている。
ムタイは自分が精一杯走って出した記録であるのに、その記録の価値に何かケチをつけられたように思われて不快な思いをした。その後、ムタイは公認大会でその2時間03分02秒の記録を超えれば、マラソンの世界記録とそういった批判家らの声を払拭出来ると考え競技に励んだが、現在に至るまで2時間03分02秒を上回るタイムを出すことが出来ていない。それらの苦しい葛藤の中で、ムタイは2013年の暮れ頃からムーンショットマラソンのアイデアを思い描いていた。
ムーンショットとは月面着陸のことで、ここでは、それまで不可能とされていた事に挑戦する事などを意味している。陸上競技の歴史においては“1マイル4分の壁”も同様に月面着陸の時と同じようなインパクトだったであろう (残念ながら筆者の私はそのどちらの時代においても、まだこの世に誕生していなかった)。ムタイのアイデアは、まさに今回のナイキのレースそのものであった。
①強力な選手を複数集める
②平坦で風の吹かない場所で行う
③ペースメーカー多数用意し、交代で走らせ風よけにさせレースの最初から最後まで先導する
そして当時、同様の事を考えているのはムタイだけではなかった。その人物は男子マラソンのサブ2論争の始まりを起こしたアメリカのメイヨー・クリニックのマイケル・ジョイナーである。ジョイナーは、オランダのスポーツマネジメント会社グローバルスポーツの創設者であるヨス・ヘルメンス(10000mと1時間走の元世界記録保持者)に2011年当時、その話を持ちかけた(また、ヘルメンスは男子マラソンの世界記録を持っていたゲブレセラシエや、男子5000m、10000mの世界記録を持つケネニサ・ベケレなど多くの世界的長距離選手のマネージャーである)。
ヘルメンスはジョイナーの相談について真剣に考えた。上記の①〜③の内容に加えて、それらを満たす具体的な場所、周回コースの優位性、サブ2シューズの開発、路面の素材や開催日や開催時間の柔軟性について熟考した。しかし、それらを全て満たすには膨大な費用が必要であり、言い換えれば、ムーンショットマラソンを行う為にはスポンサーが必要だった。それが今回のナイキである。
こうやって、ムタイ、ジョイナーやヘルメンスのアイデア=ムーンショットマラソンは、後にチームの形成、すなわちBreaking2チームの形成へと繋がり、ナイキのBreaking2として2016年の12月に世に公表される事となった。そのようなこともあってアメリカのランニング情報サイトである、ランナーズワールドのBreaking2の特集ページでも“MOONSHOT”とトップに大きく書いてある。ヘルメンスが率いるグローバルスポーツの契約選手はナイキのプロ選手でもあるし、今回のレースで2時間00分25秒を記録し主役となったキプチョゲもグローバルスポーツにマネジメントされている選手である。
サブ2を後押しする様々な要素
今回のサブ2レースのレース内容は既に報道されている通りであるが、その特徴は以下である。