2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話

2017年5月6日、イタリアのモンツァで、マラソン競技に新たな歴史が刻まれた。ケニアのエリウド・キプチョゲが42.195kmの距離を2時間00分25秒で走り切ったのだ。現在の男子マラソンの世界記録は2014年にケニアのデニス・キメットがベルリンマラソンで記録した2時間02分57秒である。その記録を2分32秒も上回った。

しかし、今回のコースはイタリアのF1サーキットという現在のマラソン競技においては特殊なコースである。また、気象条件の良い日、時間帯に開催する為に、開催日やその時間帯を意図的に選んだ事実、多数のペーサーの参加ならびに給水のサポートなど、サブ2に挑戦した3人のランナーにとって有利な諸条件が多数含まれている事から、今回のこの2時間00分25秒の記録は非公認記録である。

ナイキによるBreaking2、またの名を“サブ2プロジェクト”とも呼ばれるこの壮大なプロジェクトは、マラソンで2時間の壁を破る事を目標としている。それはランナーのみならず人類の夢とも言われるほどのスケールであり、人々の注目度も高い。今回のレースで生まれた事実は、今後のマラソン競技の歴史において大きな意味を持つだろう。

この前編ではレースの回顧までの予習段階の位置付けとして、サブ2レース誕生の秘話や、サブ2レースの特徴、その裏側について記す。

「2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話」の画像ナイキのサブ2レースで42.195kmを2時間00分25秒で走り終えたキプチョゲ © 2017 NIKE

ムーンショットマラソンの始まり

時は2011年4月18日、ケニアのジョフリー・ムタイがボストンマラソンを2時間03分02秒という驚異的なタイムで優勝した。ムタイは起伏に富んだボストンマラソンで、その前年に記録された大会記録をさらに2分50秒も上回った。当時の男子マラソンの世界記録はハイレ・ゲブレセラシエが2008年のベルリンマラソンで記録した2時間03分59秒であったが、その記録を上回る快走だった。しかも、起伏に富んだコースで。レース当日、ゴール地点にいた人々は俄に信じられない気持ちだったという。世界一歴史があるマラソン大会で、そのような快記録を見た事が無いからだ。

しかし、ボストンマラソンは非公認コースである。その理由は、ワンウェイ (一方向)コースである事と、さらにダウンヒル(下り基調)コースであるということ (詳しいルールはここでは省略)である。特にワンウェイコースについては、強い追い風がレース中に吹いていればその恩恵を授かる事は容易に想像出来る。事実、このムタイの快走は彼の実力に加えて、そのような追い風の恩恵を受けたからだと言われている。

ムタイは自分が精一杯走って出した記録であるのに、その記録の価値に何かケチをつけられたように思われて不快な思いをした。その後、ムタイは公認大会でその2時間03分02秒の記録を超えれば、マラソンの世界記録とそういった批判家らの声を払拭出来ると考え競技に励んだが、現在に至るまで2時間03分02秒を上回るタイムを出すことが出来ていない。それらの苦しい葛藤の中で、ムタイは2013年の暮れ頃からムーンショットマラソンのアイデアを思い描いていた。

ムーンショットとは月面着陸のことで、ここでは、それまで不可能とされていた事に挑戦する事などを意味している。陸上競技の歴史においては“1マイル4分の壁”も同様に月面着陸の時と同じようなインパクトだったであろう (残念ながら筆者の私はそのどちらの時代においても、まだこの世に誕生していなかった)。ムタイのアイデアは、まさに今回のナイキのレースそのものであった。

①強力な選手を複数集める

②平坦で風の吹かない場所で行う

③ペースメーカー多数用意し、交代で走らせ風よけにさせレースの最初から最後まで先導する

そして当時、同様の事を考えているのはムタイだけではなかった。その人物は男子マラソンのサブ2論争の始まりを起こしたアメリカのメイヨー・クリニックのマイケル・ジョイナーである。ジョイナーは、オランダのスポーツマネジメント会社グローバルスポーツの創設者であるヨス・ヘルメンス(10000mと1時間走の元世界記録保持者)に2011年当時、その話を持ちかけた(また、ヘルメンスは男子マラソンの世界記録を持っていたゲブレセラシエや、男子5000m、10000mの世界記録を持つケネニサ・ベケレなど多くの世界的長距離選手のマネージャーである)。

ヘルメンスはジョイナーの相談について真剣に考えた。上記の①〜③の内容に加えて、それらを満たす具体的な場所、周回コースの優位性、サブ2シューズの開発、路面の素材や開催日や開催時間の柔軟性について熟考した。しかし、それらを全て満たすには膨大な費用が必要であり、言い換えれば、ムーンショットマラソンを行う為にはスポンサーが必要だった。それが今回のナイキである。

こうやって、ムタイ、ジョイナーやヘルメンスのアイデア=ムーンショットマラソンは、後にチームの形成、すなわちBreaking2チームの形成へと繋がり、ナイキのBreaking2として2016年の12月に世に公表される事となった。そのようなこともあってアメリカのランニング情報サイトである、ランナーズワールドのBreaking2の特集ページでも“MOONSHOT”とトップに大きく書いてある。ヘルメンスが率いるグローバルスポーツの契約選手はナイキのプロ選手でもあるし、今回のレースで2時間00分25秒を記録し主役となったキプチョゲもグローバルスポーツにマネジメントされている選手である。

サブ2を後押しする様々な要素

今回のサブ2レースのレース内容は既に報道されている通りであるが、その特徴は以下である。

①1周2.4kmのF1サーキットの周回コースを17.6周する

②開催日は事前に候補日の中から天気の週間予測を参考に慎重に選ばれた。スタート時間は現地時間の朝の5時45分

「2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話」の画像1周2.4kmのF1サーキットを17.6周する周回コース © 2017 NIKE

③ペーサーは交代制。風よけの効果を上げる為にペーサーは選手の前で またはの形に配置される

「2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話」の画像

「2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話」の画像

「2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話」の画像巧みなペーサーたちの ∧か△のフォーメーション © 2017 NIKE

④F1ドライバーが運転するテスラの先導車は人間が運転する。その先導車と先頭のペーサーが5m以上の距離を開けないように間隔を保つ

⑤レース序盤は周りが暗いので緑色のレーザー光線で適切な走行位置を示し (∧ またはのフォーメションと先導車との間隔をキープするため)視認性を高めその位置をペーサーに走行してもらう

「2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話」の画像朝5時45分のスタートでまだ周りは暗い。レーザー光線が適切な走行位置を導く © 2017 NIKE

⑥給水は選手が取りにいくのではなく差し出してもらう

⑦先導車には現在のペース、ゴール予想時間、スプリットタイムなどが随時表示される

これらコース形態や気象条件、ペーサーの補助、給水サポート以外の要素では、シューズなど身につけるものにナイキ製品の最大限のテクノロジーが詰め込まれている。

「2時間00分25秒でサブ2ならず!! 前人未到のサブ2レース「Breaking2」誕生秘話」の画像内蔵されたカーボンプレートと厚底がその反発を生むヴェイパーフライ4% © 2017 NIKE

次に、開催地について。今回はイタリアのモンツァのF1サーキットで開催される事となったが、他に以下の場所が候補地に挙がった。

①オランダのダム  – 締め切り大堤防 (Afsluitdijk) 追い風の恩恵を受けやすい20マイル(約32km)のワンウェイ。しかし、天候が不安定。

②シカゴのコンベンションセンター – マコーミック・プレイス (McCormick Place)  周回コース。しかし、空調施設が不十分でコーナーが多い。

③ベルリンの空港跡地の公園 – テンペルホーフ空港跡地 周回コース。しかし、周りが開けすぎていて風の影響が強い。

 

レース時の気象条件は11.6℃、曇り、風は無し。キプチョゲは給水にMaurten社のDrink Mix 320という炭水化物を多く含んだ飲料を給水に使用した。このMaurten社はスウェーデンのスタートアップ企業で、昨年のベルリンマラソン、ニューヨークシティマラソン、今年の東京マラソン、ボストンマラソン、ロンドンマラソンの男子の優勝者がこのMaurten社のドリンクを使用した。ヨーロッパでは市販されているが、残念ながら日本での発売の予定は無い。

以上が、モンツァでのサブ2レースにまつわる大まかな情報の一部である。レース回顧と今後の見通しについては後編にて。

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