2016年8月20日 INTERVIEW ランナー

早稲田大学競走部の主将を目指した八木勇樹選手「無我夢中で駆け抜けた瞬間」をふり返る

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「自分の信念を貫いて可能性に賭けてみたい」

日本の陸上長距離界において、エリート街道を渡り歩いた“一人の勇者”が新たな道を歩み始めました。
その人の名は八木勇樹さん

八木さんは、西脇工業高校時代にケニア人留学生を破って国体で優勝。
早稲田大学では出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の学生三大駅伝で3冠を達成。
早稲田大学競走部の主将として臨んだ関東インカレ、全日本インカレではチームをまとめあげ、総合優勝。
前人未到の5冠を達成しました。

しかし、華々しい実績の影には挫折や葛藤、自問自答の日々が続いたといいます。

そして、実業団選手として所属していた旭化成を2016年6月末に退社し「独立」の道へ。
株式会社OFFICE YAGI代表取締役として、YAGI RUNNING TEAM所属のプロランナーとなりました。

インタビュー前編では、旭化成を退社した今の心境、基礎を作り上げた中学時代のエピソード、全国の頂点の立った高校時代の回想についてお聞きしました。

(前編はこちら)

今回は、早稲田大学競走部時代の葛藤と飛躍の軌跡を辿るとともに、2020東京オリンピックへの想い、日本の陸上長距離界の変革に向けての取り組み、その先の未来へのビジョンを伺いました。

自身を前進させたキッカケ

—高校3年生での全国高校駅伝で失意のどん底へ。そこから始まった早稲田大学競走部での競技生活はどうでしたか。

大学時代を振り返ると、レースで力を発揮出来なかった事が多かったです。
入学前の全国高校駅伝でのブレーキがトラウマとなり、そこからイップスに陥りました。

早稲田大学競走部での日々の練習は問題なくこなせていたのですが、レースでは身体が鉛のように重くなって不甲斐ない結果に終わる。
インカレや箱根駅伝などで、大会が終わってから競走部のOBを前にしての報告では、自分自身に失望していました。
さらに、故障も重なってうまく走れない時期が続きました。
そうして、大学での競技生活の半分が過ぎていきました。

“このままだといけない”私はそう思い、大きく成長し、前進するために、そして、早稲田大学の時代を築くために競走部の主将を志しました。
とはいうものの、競走部の主将になる為にはチーム内の仲間からの全面的な信頼と、競技面での実績が必要でした。

私は大学3年の秋まで、高校時代ほどの実績が全く残せていませんでした。
この時ばかりは、私にとっての正念場で、とても大きな危機感を覚えました。
そんな状況で迎えた、3年生での全日本インカレでは1500mで準優勝、5000mで5位入賞。
全日本インカレでの結果が認められ、競走部の主将を務める事となりました。

—主将を務めてからは、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の学生三大駅伝で3冠。さらに関東インカレでは1500mで優勝しチームも70年ぶりの総合優勝。さらに全日本インカレでもチームは総合優勝し、前人未到の5冠を達成しました。とても素晴らしい実績ですね。

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