“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街

若くないのに向こう見ずだった愚かなランナー

ぼくがサンタバーバラ・マラソンに参加したのは、8年前のことになる。それまでにも何回かマラソンは走っていて、この半年前のレースでは自己新記録となる、3時間30分強を達成していた。その後もトレーニングを継続して、体調はさらに上がっていた。サンタバーバラではもっと記録を伸ばしてやるぜ! と心ひそかに期するものがあった、のならせめて傷は浅かったのだが、おろかなぼくは、このレースに出ることを周囲に散々知らせて回っていた。ちょうどSNSを使い始めた頃で、その怖さもよく知らなかったのだ。おかげで、できればそっと引き出しの中に隠して、なかったことにしたかった失敗を、知らせなくてもいい人にまで知らせる羽目になった。年齢的にはけっして若かったわけではなかったが、若い人と同じように色々なことに未熟だったのだ。

その頃のぼくは、カーボ・ローディングの効果を信じていた。レースの1週間前から練習量を落とし、最初の3日間は炭水化物を極端に減らし、最後の3日間で逆に増やす。そうすることで、スタミナの源になる体内のグリコーゲン貯蔵量を一気に増やす。理論的には間違っていないと思う。でも何も、レース前日にピザを大食いして体重を2キロも増やすことはあるまい。ビールにだって炭水化物がたくさん入っているからって、せっかくの禁酒を走る前に解禁することもあるまい。しかも、1杯飲んだら気が大きくなってしまって、2杯、3杯と重ねてしまうのでは話にもならない。

せっかく整えたコンディションを、レース直前の1日で台無しにしてスタートラインに立ったぼくだったが、なにしろ根が馬鹿なので、そのときはまだ自分がやったことの意味をわかってはいなかった。この期に及んでもまだ、自己記録を更新できると思っていたのだ。

スタート直後から鼻息荒くペースを上げ、身分不相応にも3時間のペーサーを追いかけた。まだサブ3.5をクリアしていなかったのに、いきなりサブ3を狙おうとしたのだ。繰り返し言うが、馬鹿である。

それでも、中間地点までは物事は上手く進んでいた。ハーフの通過タイムは1時間34分。ぼくのハーフマラソンの記録は1時間39分だから、なんとそれより5分も速い。信じられないが本当である。多分そこまでは下りが多いコースだったのだろう。冷静に考えればそのペースで最後まで行けるわけはないのだが、そのときはそんな風には考えられない。それどころか、いいぞ、いいぞ、後半はもっと根性出して、3時間を切ってやるぜとますます燃えていた。もう一度だけ言うが、馬鹿なのである。

「“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街」の画像

当たり前だけど、後半に入ると徐々にペースが落ち始めた。3時間のペーサーが遠くに見えなくなり、あっという間に3時間15分のペーサーにも抜かれた。そして3時間半のペーサーについている集団に飲み込まれたのは32キロぐらいの地点だった。冗談じゃねえ、こいつらにまで負けてたまるか、絶対に抜き返してやる! とペースを上げようとした瞬間だっただろう。ふくらはぎに激痛が走った。筋肉が変形して、ブルブルと痙攣する。もちろん、走るどころではない。地面に倒れこんで、足を伸ばそうとするのが精一杯だった。

激しい痛みが徐々に遠のき、なんとか歩き始めることはできた。走ろうとすると、また痙攣がぶり返しそうな気配があるので、歩くしかない。記録はとっくに諦めるしかなかったし、ギャラリーは「Go! Go! You can do it!」なんて煽るしで、気分は最悪である。できればリタイヤしたかったが、その辺りにランナー回収バスは見当たらなかった。それなら、もう這ってでもゴールまで行くしか選択肢はない。

そうして5キロぐらいはとぼとぼと歩いただろうか。視界が一気に広がった。それまでは山間部や住宅地を走っていたコースが海に辿り着き、最後の数キロは海岸線に沿って、サンタバーバラの中心地に設置されたゴールに向かうのだ。

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ゴール前の最後の数キロはこの公園を通る

そのときの数キロほど美しい海岸線を見た記憶は、ぼくにはない。恥を忍んで言えば、涙まで出てきた。気がつけば、足の痛みまで消えていた。恐る恐る走り始め、徐々にスピードを上げ、ゴールラインは全速力で走り抜くことまでできた。

   
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