東洋大4年生時に自己新の柏原竜二さん「あの日の走りは“限界”ではなかった」

人類はフルマラソンで2時間を切れるのか。エリウド・キプチョゲ選手が特設レース(非公認)で1時間59分40秒2をマークしたことから、いよいよ現実味がでてきた公認レースでの『2時間切り』。長距離走のような持久系スポーツで、パフォーマンスを左右するのが耐久力。これを決定するのは、心か体か? そんな問いに答えるのが書籍『限界は何が決めるのか? 持久系アスリートのための耐久力(エンデュアランス)の科学』だ。

「東洋大4年生時に自己新の柏原竜二さん「あの日の走りは“限界”ではなかった」」の画像

同書を手にしたのは箱根駅伝の「二代目・山の神」こと柏原竜二さん。東洋大の箱根5区といえばこの人を思い出す人も多いだろう。4年連続の区間賞だけでなく、1年生の時には8人抜き、4年生の時には自己新の1時間16分39秒をマーク。記憶にも記録にも残る選手だった。現在は富士通の企業スポーツ推進室に在籍。自身の箱根駅伝を振り返りつつ現在地を語ってくれた。

「自分の中の限界」を超えるには計算よりも感覚が大事

印象的だったのは1年生の時ですね。「大学にいく以上は絶対に箱根駅伝」と考えていたので、そのスタートラインに立てたことは感慨深かった。また、レース展開も1人ずつ抜いていかないといけない状況でしたので、あの時のことはよく覚えています。

一方で記憶のないのが最終学年。区間記録だった1時間17分8秒を29秒更新する1時間16分39秒でゴールできたんですが、あまり覚えていません。その時は、初めて1位で襷を繋いでもらい、そのままゴールしたんですね。不安や危機感といったネガティブな要素がなく、いいメンタルの状態で走れたからだと思います。

「東洋大4年生時に自己新の柏原竜二さん「あの日の走りは“限界”ではなかった」」の画像

走力を上げるためには、フィジカル・メンタルと2軸での成長が必要なのですが、「自分の中の限界」に近づくにはフィジカル面のトレーニングが必要で、それを超えるにはメンタル面の要素が重要だと感じています。

ちなみに4年生の時の走りは「限界」ではありませんでした。次の日、ちょっと足首は痛かったものの筋肉痛はほとんどありませんでした。実際に体は重かったのですが、走ろうと思えば走れる。前年度までのひどい筋肉痛がなかったんですよね。それまでは5区の最高地点までしっかり登って、最後の下りでは少しブレーキをかけていたんですが、4年生の時は、そんなことを取り払って走りに集中することができました。

そもそものところでいうと、高校時代から誰よりも山に関心があったのも大きいかと思います。起伏が激しい山道をみてもネガティブな印象はなく、どう60分、120分で走ろうかと考えますので。ずっと山の走り方を考えていました。

また、「自分の中の限界」を超えるためには、計算よりも感覚でペース配分することが大事だと思います。もちろん時計も見ているのですが、いざスタートラインに立ってレースがはじまったら感覚を優先させます。意識しているのは、感覚と流れている景色とのすり合わせ。いま流れている景色が2分50秒だったとして、これを時計で確認するよりも感覚でわかっておきたい。できるだけ感覚で合わせていきたいんですよね。

「東洋大4年生時に自己新の柏原竜二さん「あの日の走りは“限界”ではなかった」」の画像

『伝える側』に立ち位置を変えた箱根駅伝

いま、文化放送で「箱根駅伝への道」というラジオ番組のナビゲーターをしていて、箱根駅伝を走る側から伝える側に立場が変わりました。そういう意味では少なくない変化を感じ取っています。

ここ数年、指導者がトップダウンで指示をするのではなく、選手主体のボトムアップを採用しているシーンを見るようになりました。筑波大学はデータ班、食事担当班、寮の備品の受注班と細かく分かれており、選手主導で動いています。監督の指示ではなく、選手自身がそうしないと運営できないと自覚している。先日の合同記者会見に出席した際、筑波大学の動きはまるで会社の組織をみているようでした。あの選手たちは社会人になっても安心して働けるでしょう。

「東洋大4年生時に自己新の柏原竜二さん「あの日の走りは“限界”ではなかった」」の画像

大学で陸上競技を続けて社会人になった時、陸上競技の狭い世界のルールに縛られて、社会とのギャップを感じてしまう。陸上って自己完結の競技なんで、その競技者は他のスポーツと比べて他者を動かすということをしないんですよね。お願いすることが下手なんです。僕自身も社会人になって、最初、頼っていいのかと半年くらい悩みました。

ただ、ありがたいことに現役を引退した後、富士通のアメフト部のマネージャーに就任できた(2019年3月まで)。まったくわからない世界なので、聞くしかないんですよ。僕が言うのもなんですけど、プライドを捨てられたというところが大きい。箱根駅伝にでると必然的に有名になる。活躍できたらなおさら。自信を持ってしまうんですよね。いろんなメディアにも掲載される。僕も舞い上がっていた部分があったと思います。「お前はそうじゃない」と抑え込むような人が現れるといいのですが、近くにそんな人がいなければ自分で気付くしかありません。学生たちにもそういった価値観を伝えていきたいですね。あなたたちの努力は素晴らしい。でも、勘違いして欲しくない。

第96回(2020年1月2日、3日)の箱根駅伝は終盤が見どころ?

今回は東海大学が優勝候補だと言われていますが……、1つのミスで全てが変わるといった局面があるかもしれません。往路を終えて「1分差以内に5チームが入ってくる」という予想もできます。1分差のビハインドだったら復路での逆転が見えてくる。これまでは5区で勝負が決まり、6区でほぼ順位が確定するケースが多かったですが、前回は8区で決まりました。8区の鈴木宗孝選手(東洋大)と小松陽平選手(東海大)が競って、小松選手が最後に出て勝利をつかんだ。今回は8区、9区にずれ込むんじゃないかなと思っています。

「東洋大4年生時に自己新の柏原竜二さん「あの日の走りは“限界”ではなかった」」の画像

一つひとつの言葉を大切に選びながら、時に柔らかく、時に厳しく、『走る』ことを語る柏原さん。学生時代に「二代目・山の神」と言われ続けた男は、謙虚にその偉大なる称号を受け止めている印象だった。いまは、後輩たちを支える立場。学生時代に光を浴びただけでは終わらない選手として、せっせと山を登っている最中であった。

「東洋大4年生時に自己新の柏原竜二さん「あの日の走りは“限界”ではなかった」」の画像

上沼祐樹が書いた新着記事
RUNTRIP STORE MORE
RANKING
「COLUMN」の新着記事

CATEGORY