「6回目でそのタイムなの?」にカチン! モデル・ヤハラリカさんがこだわったファンランの姿
May 27, 2019 / MOTIVATION
Sep 20, 2019 Updated
モデルやタレントとして活躍中のヤハラリカさん。
今年4月28日から5月4日まで開催された『ナミブ砂漠マラソン』を完走した。目の前に現れたヤハラさんは、過酷なレースでゴールしてから10日ほどしか経っていないというのに、疲労の色を全く感じさせなかった。
砂漠のレースでも、ふだんのファンランのように楽しむことができるヤハラさんに、ランニングへの思いを聞いた。
勝ち負けの優劣がつかないスポーツがあった
ヤハラさんに大きな転機が訪れたのが24歳のとき。
大学を卒業して2年、OL生活に何ら不満はなかったが、どこか物足りなさを感じていた。会社を辞め、バックパッカーになった。いわば自分探しの旅。1カ月に及んだ旅の最大の目的は、世界遺産の1つである “ガラパゴス諸島” に行くことだった。ただ、ここは1人で行くのは危険で、規制があると聞いていた。ところが、エクアドルの空港で行き先を告げると、思いのほかスムーズに搭乗手続きが完了。1週間の滞在も問題なく許可された。
「行く前は、いろいろ吹き込まれていて怖さもあったのですが、いざ行ってみるとスーパーマーケットもあって、人々が普通に生活していました。案じてばかりでなく、来て良かったと思いました。勇気を持って一歩踏み出せば、楽しいことが待っているんだな、と」
この時の経験が、未来を開いていくことになる。読者モデルを経て、雑誌『FYTTE』の専属モデルに。現在はモデルやタレントなど、各方面で活躍している。
高校時代、ハンドボールの強豪校の選手だったヤハラさん。ポジションはゴールキーパー。全国大会には3年連続で出場している。バリバリの体育会系だが、本人いわく「走るのはいまも得意ではない」。加えて、高校の時はさんざん “走らされていた” ため、走るのが好きではなかった。それが変わったのが、初フルとなった2011年の東京マラソンだ。『FYTTE』の専属モデルとしての出場だった。
「沿道から、ものすごく応援してもらいまして。高校生の時は、走る度にずっと怒られていたんですが、初めて走ることでハッピーな気持ちになれたんです」
発見もあった。
「勝ち負けの優劣がつかないスポーツがあるんだな、と。完走に6時間29分かかりましたが、『誰かに負けたから悔しい』という感情は起こらず、達成感がありました」
過酷な砂漠レースで究極のファンランを体現
ランニングは優劣がつかない楽しいスポーツ――。初フル完走後は、走ることへの気持ちも新たに、自分のペースでランニングを楽しむようになった。毎年、フルマラソンの大会にも出場したが、そのために自分を追い込むことはなく、緩やかに走っていた。現在もそのスタイルに変わりなく、「友達とお喋りしながら代々木公園を走ったり、浅草など目的地を決めて友達とのピクニックランをしたりして、楽しんでいます」
ヤハラさんに火をつけたのが、ある陸上競技出身のベテランランナーの一言だった。
「6回目のフルのタイムが4時間44分だったんですが、『6回目でそのタイムなの? 』と言われまして(苦笑)。オリンピックを目指しているわけでもないし、自分のために走っているのに、速くならなければいけないの? と少しカチンときたんです。悔しくて、『ロードランナーが参加しないようなレースで、ファンランの究極の姿を体現しよう』と。それで、周りに走った人がいない“世界一過酷”といわれる『サハラマラソン』に出ようと決めました」
とはいえ、砂漠を走るレースに出場するのは、容易いことではない。トレーニングが必要なのはもちろん、レース期間も含めて10日以上のスケジュールを確保しなければならず、費用もかかる。また、レース中はシャワーを浴びることもできず、コースにトイレがないので、衛生面が気になる女性には厳しい。ヤハラさんは「走ること以上に、スタートラインに立つことの方が大変かもしれません」と言う。
様々な課題を全てクリアして、ヤハラさんが初めて砂漠のレースに出場したのが2017年。7日間で約250㎞を走破する『サハラマラソン』だった。いざ走ってみると、砂漠の美しさは想像を超えるものだった。「全体的に黄色なんですが、砂丘の色や形は日によって変わるんです」。
水以外の全ての装備を背負って砂漠の中を約250㎞走るレースは、やはり過酷だった。途中、何度も「なんで参加したんだろう」という思いにかられたが、楽しむことを忘れることはなかった。「私にとっての勝負の決め手は、どれだけ速く走ったかではなく、誰よりも楽しめたか。そこですからね」
オーバーナイトステージで満天の星空に遭遇
『サハラマラソン』を完走したヤハラさんは、今年、2度目の砂漠レースとなる『ナミブ砂漠マラソン』に出場した。『サハラマラソン』同様、7日間のレースに必要な約10㎏の水以外の装備を背負って、アフリカ・ナミビア共和国にあるナミブ砂漠を約250㎞進んでいく。参加人数は『サハラマラソン』の約1300人に対し、111人。水の条件は『ナミブ砂漠マラソン』の方が厳しい。
「ナミブでは、飲食以外で水を使えなかったので、水を頭にかけることも、水で顔を洗うこともダメだったんです。当然、洗濯もできないのでストレスになりましたね。1日2枚と決めたウェットシートを大事に、大事に、使っていました」
空腹にもさいなまれた。「レース中はとても元気だったので、用意してきた食事では足りなくて。ゴールしたら、アルファ米とかジェルではなく、生ものを食べたいとずっと思っていました」。
2度目の砂漠レースは「1度目より余裕が持てるはず」と思っていたが、辛さに変わりはなかった。しかし、砂漠がオレンジ色のナミブでも、ヤハラさんは目一杯楽しんだ。
「周りからは、『テンションは変わらないし、なんでいつも笑っているの?』と思われていたようです(笑)」
ハイライトは、夜通し走るオーバーナイトステージで遭遇した、満天の星空だった。
「ナミブの砂漠は平らなので、まるでドームにいるように星空が広がっているんです。だから、走っていると、見上げなくても、目の前にも、横にも、降ってきそうな星が見えるんです」
ファンランを貫いていたからこその幸運もあった。星が一番きれいに見えるのは、午前2時。この時間、先を行く速いランナーは、すでにこのステージを終え、テントの中で仮眠を取っていたが、ヤハラさんらマイペースのランナーはまだ道中。だからこそ、この星空が見られたのだ。
タイムを気にしていないから、ラクダを見かければ、コースを外れて写真を撮った。ヤハラさんによると、この“頑張らない姿勢”こそが、砂漠レースを完走するコツだという。「砂漠レースでリタイアしてしまう人は、案外、ガチで走るシリアスランナーが多いんです」
ヤハラさんは楽しく走り続けるために、ふだんから心がけていることがある。
「栄養補給とランニングフォームですね。リカバリー食といった栄養補給は、高校時代から意識していました。ケガをしたら走れなくなるので、体に負担が少ないフォームで走るようにしています」
6年前からハンドボールを再開し、ビーチハンドボールでは日本代表候補になっているアスリートしての一面をうかがわせる言葉である。
次なる目標は『南極マラソン』の出場資格を得ること
『ナミブ砂漠マラソン』では、もう1つハイライトがあった。それは、レース中に平成から令和へと元号が変わったこと。ヤハラさんは、令和となった朝、リュックから令和と書かれたフラッグを取り出し、ナミブ砂漠で掲げた。
「大きな節目を砂漠で迎えられたのは感動でした。外国人参加者も改元を知っていて、お祝いムードに包まれました」
ヤハラさんは『ナミブ砂漠マラソン』も完走。ゴール時も、ゴールしてからも筋肉痛はなく、日頃からの入念なケアの成果で、日焼けもしなかった。そして今回も、“砂漠レースを楽しむ”という最大の目標を達成した。
ところで、2度も砂漠レースを完走したことで、何か変化はあったのだろうか?
「考え方がシンプルになって、モノへの執着心がなくなったのは確かですね。あと、ずっと走ることがコンプレックスだったんですが、堂々と『楽しんでます』と胸を張れるようになりました」
ヤハラさんの次なる目標は、『ゴビ砂漠マラソン』か『アタカマ砂漠マラソン』を完走し、2020年12月に開催予定の『南極マラソン』の出場資格を得ること。いずれも過酷なレースとして知られるが、ヤハラさんならきっと旅するように、楽しんで走ってしまうだろう。
ヤハラリカ(本名・矢原里夏)。1984年8月10日生まれ。東京都出身。高校時代はハンドボールの選手として全国大会に3年連続出場。東京都と関東の代表にも選出された。大学ではバンド活動に打ち込む。OL生活を経て、第1回学研『FYTTE』専属モデルオーディションで、FYTTE未来賞を受賞したのを機に、モデル、タレントとしての活動を開始。2011年の東京マラソン出場をきっかけにランニングを始め、以降は毎年フルマラソンを走っている。2017年には『サハラマラソン』を完走し、今年は2度目の砂漠マラソンとなる『ナミブ砂漠マラソン』に出場、これも完走した。ビーチハンドボール日本代表候補で、全日本ビーチハンドボールで3位になった実績もある。趣味はスキューバダイビング。
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(写真 Eliana)