たまにはレースをサポート。アメリカで給水ボランティア初体験
May 01, 2019 / COLUMN
May 01, 2019 Updated
レースが始まると、次々とやってくるランナーに紙コップを手渡した。水とスポーツドリンクの2種類があるので、そのどちらかであるかを大声で叫んで、ランナーが間違えないようにする。ぼくはずっと水のコップを持って「Water, Water!」と叫び続けていた。
コップを手渡す側に回って、初めてわかったことがある。トップランナー達は走るスピードを落とさずにコップを受け取ろうとするので、取り損なったり、殆どの水をこぼしてしまったりすることが多い。急ぐのはわかるけど、給水をし損ねたら後々ダメージになりそうだ。
ぼく自身はタイムを争うようなランナーではないので、給水と休憩はほぼイコールだ。テーブルが近づくとスピードを落とし、立ち止まってコップを受け取り、ときにはボランティアの人と少し話をしてから、また走り出す。そんなわけだから、手のひらに載せたコップを払いのけるような彼らのスピードには面食らった。
もっとも、そんな一握りのトップランナーが走り去った後は、いつもお馴染みの市民ランナーたちが大勢やってくる。人数で言えば、こちらの方がはるかに多い。多くの人が「Thank you!」と言って、コップを受け取っていく。こちらも自然に笑顔になる。往きの段階ではまだ6キロぐらいしか走っていないので、ランナーたちの表情にも余裕がある。帰りはこの地点までに既に15キロぐらい走っているわけだから、かなり疲れ切った人が増えてくる。喉も渇くのだろう。両手のコップを受け取り、さらにおかわりまでする人もいる。
最後のランナーがよたよた通過したのは、レースがスタートしてから3時間ぐらい経った頃だったと思う。ぼくらボランティアの仕事もそこで終わりだ。そこら中に散らばったコップを拾い集め、テーブルも片付ける。後はトラックがやってきて、ゴミを回収していく。
このようなゴミの山を見るたびに、かって一度だけ日本で走ったレースのことを思い出す。四万十川のウルトラマラソンだ。100キロにも及ぶ長いコースの途中には、たくさんの公式や私設エイドがあって、地元のボランティアの人がランナーを応援してくれたわけだけど、路上にコップや皿が落ちているところを一度も見なかった。どのランナーも飲み終わったコップを用意されたごみ箱にきちんと入れて走り去っていく。この公徳心の高さは素晴らしいと感心したことをよく覚えている。
それはさておき、初めて経験した給水ボランティアではあったが、気持ちの良い時間を過ごせた。ぼくはこれからも走ることの方が多いだろう。いつもサポートしてもらうだけではなく、たまにはこうしてレースをサポートする側に回るのも悪くはない。そんな風に感じた半日だった。