届かなかったMGCスタートライン。沖縄県の市役所勤務・濱崎達規

2019年9月15日、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が開催された。

MGCのスタートラインに立つことを目指して、この2年間で多くのアスリートがマラソンに臨んだ。

濱崎達規。沖縄県の南城市役所に勤務する彼もその1人だったが、MGCのスタートラインに辿り着くことはできなかった。

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©︎2019 Sushiman Photography

現在、沖縄に実業団のチームはない。濱崎はその環境の下で練習を積み、2017年12月にマラソンの自己記録を2時間11分26秒にまで伸ばした。彼は “市民ランナー” と呼ばれることを好まなかった。

一体どんな気持ちで、MGC出場を目指していたのだろうか。沖縄から夢を追った男のストーリーに迫る。

理想と現実の天秤

沖縄県中部のうるま市出身の濱崎は、沖縄工業高から亜細亜大に進み、箱根駅伝を経験。卒業後は小森コーポレーションに所属し、ニューイヤー駅伝に出場した。ハーフマラソンでは1時間01分45秒の茨城県記録を樹立し、マラソンでは2時間12分12秒の自己記録を出した。

積極的にマラソン経験も積んだが、実業団6年目に差し掛かった2016年7月のゴールドコーストマラソンで、終盤に失速して2時間15分36秒に終わる。

アスリートのセカンドキャリアは、当時の濱崎にとって “シビアな問題” だった。実業団選手にとってアスリートとしての理想を持ちつつも、どこかで必ず現実を見なければならないからだ。

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濱崎と同郷で大学時代の先輩である仲里彰悟 ©2019 Sushiman Photography

亜細亜大学時代の先輩で、後に濱崎のコーチとなる仲里彰悟から、こう言われたという。

「人生いつまでもトップレベルで競技ができるわけじゃないし、今の実力じゃ東京オリンピックは目指せない。そろそろセカンドキャリアも考えたほうがいいよ」

信頼する同郷の先輩からの胸に刺さる言葉だった。仲里は続けた。

「今、南城市役所で新しい人材を募集しているよ」

タイミングよく、地元の沖縄に就職のチャンスがあることを知った濱崎は決断した。

再起からの1年2か月

2017年4月、南城市役所に勤務し始めた。それは彼にとっての “現役引退” を意味したが、「競技をやめるやめると言いながらも、まだレースに出場していた」。走ることへの情熱を失っていない “諦めの悪い男” がそこにいた。

迎えた2017年12月の防府読売マラソン。濱崎は、レースの中盤から川内優輝との一騎打ちで見せ場を作る。そして、実業団時代を超える2時間11分26秒の自己新で2位。マラソンの沖縄県記録を更新した。

レース後、濱崎は川内優輝に続く “公務員ランナー” として脚光を浴びたが、彼にはプライドがあった。

「アスリートとして、結果だけを見てもらいたい」

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©2018 Sushiman Photography

濱崎が自らを“アスリート”と表現するのには、理由があった。

実業団時代、ニューイヤー駅伝の切符が掛かった東日本実業団駅伝を3日後に控え、父が他界した。しかし、チームの主力、かつ主将でもあった濱崎は、気持ちを切らずに駅伝に出場したのだ。

「父親の死に目に会えなかったけど、後悔していない。それはアスリートとして当たり前の決断だったと思っている」

濱崎は “市民ランナーが実業団選手に挑戦する” というメディアが作り出した構図に何の価値も感じていなかった。そして、その考えは実業団時代のままであり、いわばプロの領域にあった。

ケジメをつけた雨の東京

2018年シーズンは、故障で苦しんだ。万全ではないながらも、レースを重ねて状態を探っていくうち、彼の目標は※ワイルドカードでMGCへの出場権を得るという明確なものになっていった。

(※)2017年8月1日〜2019年4月30日までの公認レースで上位2つの記録の平均が2時間11分00秒以内

しかし、その記録に届かず年が明ける。迎えた2019年3月の東京マラソンがMGCへのラストチャンスだ。2017年に沖縄に戻ってから、仕事と並行して競技に集中した。その一方、子供たちの育児に時間を割けないことで、妻の美夜子さんに負い目を感じていた。

「このままダラダラと競技を続けても家族のためには良くない。このレースがダメならここで一線を引く」

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©︎2019 Iori Matsudaira  東京マラソン2019:険しい表情の濱崎

東京マラソン当日、レースを楽しもうと、いざ走り出したが、冷たい雨に打たれて震えていたという。結果は2時間23分57秒。

MGCへの道は、閉ざされた。

2018年の東京マラソンは、日本人選手のサブテンが過去最多の9名出たが、雨の2019年は日本人選手のサブテンが1人も出なかった。それでも、濱崎は実力不足だったと潔く認め、沖縄での2年間をこう振り返った。

「気持ちがプロであり続けた沖縄での2年間は、夢のようだった。マラソンは10回走って1回ぐらいしか良い走りできなかったけど、仲間の支えでここまでこれた」

今回の雨の東京で最後まで完走できたのは、紛れもなく “沖縄の仲間のおかげ” だと強調した。

沖縄の長距離界のために

東京マラソンの11日後。沖縄で濱崎と顔を合わせたが、後悔のない様子で「この2年間の試練を楽しめた」と話してくれた。

濱崎は今年8月の北海道マラソンを2時間16分24秒で走るなど、現在も走ることをやめてはいない。一線を退いた彼がまだ走り続ける理由がある。南城市役所で働きながら、小・中学生を対象とした南城市の陸上クラブ “なんじぃAC” 所属の選手兼コーチとして活動している。

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©2019 Sushiman Photography

「実業団時代は自分のコンディショニング優先で、指導には積極的ではなかったけど、沖縄に帰ってきて考え方が変わった。バスケ部の女の子が、 『濱崎さん陸上教えてください』 って。今の指導者としての原点。この2年間で子供達の成長を間近で見てこれた」

雨の東京マラソンでは、体調を考慮すれば途中棄権することもできた。しかし、MGCには決して届かなかったとしても、沖縄の仲間のことを思えば、完走することに意義が見出せたという。

沖縄トップの長距離選手として背中を見せ続けることに意義を感じ、箱根駅伝のテレビ放映がない長距離不毛の大地である沖縄で後継者の育成に力を入れる。そして、「沖縄の子供達が気軽に陸上を楽しめる環境づくりをしたい! 」と1ヶ月のクラウドファンディングで、目標の50万円を超える80万円を集めることに成功した。

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なんじぃAC監督の仲里(左)とコーチの濱崎(右) ©2019 Sushiman Photography

しかし、そんな矢先に逆風が吹いた。

例年2月に行われる沖縄県一周市郡対抗駅伝の中止がこの8月末に突如決まり、波紋を呼んだ。理由は交通量増加によるもの。これは沖縄に限った話ではなく、同様の理由で中国山口駅伝、おおいたシティハーフマラソンの廃止が相次いで決まった。

濱崎にとってこの駅伝は、大学時代、実業団時代、沖縄に帰ってきてからも、いつも全力で臨んだレースだった。ジュニア世代がシニアのトップレベルのスピードを間近で見て、刺激を受ける。沖縄の次世代を育む大事な駅伝だった。

沖縄の長距離界は、前途多難のように思える。しかし、濱崎のように 「沖縄の長距離界を強くしたい!」 という熱量のある人たちが多くいるのも事実である。

「スポーツの本質は楽しむこと。そのために自分は沖縄の子供達のスターでありたい」

走ることを通じて、その楽しさ、やりがいを伝え続けている男は、今後もその歩みを止めないだろう。

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©2018 Sushiman Photography

濱崎 達規(はまさき たつのり)

沖縄県うるま市出身、南城市役所勤務のランナー。
沖縄工業高―亜細亜大―小森コーポレーション―南城市役所
大学時代は箱根駅伝で1区と3区を走り、実業団時代はニューイヤー駅伝に2回出場し、ハーフマラソンで1時間01分45秒の茨城県記録を樹立。2017年からは地元、沖縄の南城市役所に所属。同年の防府読売マラソンで2時間11分26秒の沖縄県記録を樹立。現在は南城市の陸上クラブ“なんじぃAC”で選手兼コーチを務める。

   
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