「百戦錬磨のプロランナーへ」川内優輝選手がアシックスと積み上げる百戦目
Apr 06, 2019 / COLUMN
Apr 06, 2019 Updated
新元号が『令和』になると発表された4月1日―。1人のランナーが『プロ』として走り始めた。
川内優輝選手(あいおいニッセイ同和損保)である。
3月31日まで在職した埼玉県庁の職員時代は、『最強の公務員ランナー』、あるいは『最強の市民ランナー』と呼ばれた川内選手。これまで、仕事とランニングを両立させながら、ほぼ毎週と言ってもいいくらいの頻度で各地のマラソン大会に出場、フルマラソンでは通算37回の優勝を飾っている。昨年のボストンマラソンでは、日本人としては瀬古利彦さん以来31年ぶりとなる覇者となった。
晴れて『プロランナー』になった川内選手が選んだシューズは、『市民ランナー』時代から愛用してきたアシックスだった。信頼するアシックスのシューズとともにさらなる飛躍を期す。
4月2日、アシックスジャパンは、日比谷公園内にあるランナーに人気のスポット『スポーツステーション&カフェ』で、川内選手との契約に関する記者会見を行った。
この模様を通じて、川内選手が『アシックスを履く理由』や『プロとしての意気込み』などについて詳しくお伝えしたい。
シューズに要求するものがアシックスにはある
川内選手がアシックスのシューズと出会ったのは高校時代。春日部東高校では、アシックスのレース用シューズをいくつか試したという。箱根駅伝を2度走った学習院大学では、レース用はもっぱらアシックスに。社会人になるとアップやジョグ用もアシックスになった。レースでは『ソーティ』を、それ以外では、ソールが厚めの『ゲルカヤノ』や『GT-2000』を好んで履いていたそうだ。
そんな川内選手が『プロランナー』として選択したのは、やはりアシックスだった。川内選手はその理由をこう話す。
「長年の信頼ですね。僕がシューズに要求するものが、アシックスにはあります。レース用では、蹴りが伝わるような推進力を求めているのですが、『ソーティ』はこれを実現してくれます。また『ゲルカヤノ』や『GT-2000』には、アップやジョグ用に求める耐久性があります。これからは練習量も増えていくと思いますが、こうしたアシックスの厚底タイプはそれを支えてくれると思っています」
ちなみにこの日の記者会見で着用していたのは、3月に発売されたばかりの『メタライド』。“より少ない力で、より長く走れる”このシューズは、早くも店頭で品薄状態になるなど人気を集めている。川内選手は会見前、この『メタライド』を履いて、『プロ』としてのランを市民ランナーとともに行った。使用感を聞かれた川内選手は「他メーカーの厚底タイプと違い、『メタライド』は踵着地で走ったほうが、よりシューズの特性を生かせると思います」と答えていた。メタライドに関する記事はこちらから。
川内選手がアシックスを選んだもう1つの大きな理由は、アシックスが、スポンサーとして国内の大会にとどまらず、国外のレースでもサポートを行っていることだった。海外でも数多くのレースに出場してきた川内選手は、それを目の当たりにしてきたという。
「僕が走った中では、ストックホルムマラソン、ケープタウンマラソン、ゴールドコーストマラソンといった大会を、アシックスはサポートしていました。僕はこれからも海外のレースにどんどん出ていくつもりですが、グローバルにネットワークがあるアシックスなら、海外でも大きな味方になってくれると思ったのです」
アシックスもタッグを組むことになった川内選手に大きな期待を寄せる。記者会見で登壇した、アシックス取締役 スポーツマーケティング統括部長・松下直樹氏は「アシックスのランニングコンセプト『WIN THE LONG RUN』の通り、川内選手にはいっときでも長く走り続けてほしいと思っています」と話した。
会見ではその松下統括部長から、川内選手の特注シューズ(マラソンソーティ)が贈呈された。色はグリーン。川内選手によると「生まれは東京ですが、埼玉で育ってきたので」と“埼玉カラー”をリクエストしたのだという。
アシックスと『アドバイザリースタッフ契約』を結んだ川内選手には今後、最新のウェアやシューズも支給される。『市民ランナー』の時は全て自費購入だった川内選手は「レース用以外のシューズは、かなり痛むまで履いていましたし、ウェアは長く同じもの着ていた」と取材陣を笑わせたが「今後はいろいろなシューズを試したいですし、ウェアのカラーやデザインにもこだわっていくつもりです」
これからは時間に制約されずに思い切り走れる
周知の通り、川内選手は実業団に所属せず、埼玉県庁に入庁後、埼玉県立春日部高校の定時制事務職員として勤務。その傍らでトレーニングに励み、数々の大会で好成績を残してきた。仕事と高いレベルでのランニングとの両立は、各方面から賛辞されていたが、実は数年前から葛藤があったようだ。
「心の片隅では、藤原新さんのような『プロランナー』になるのを思い描いていました。それに、次弟の鮮輝がプロになってから力をつけていたので…」
『プロランナー』に転向すると発表したのは、昨年の4月。ボストンマラソンから帰国すると、空港で待ち構えていた記者団にそう告げた。
『プロランナー』になった今、川内選手が一番嬉しいのは、時間的制約がなくなったことだという。
「これまでは仕事の都合上、早めに練習を切り上げていたところもありましたし、長期の合宿ができませんでした。猛暑だった昨年も、涼しいところで走れなくて、辛かったですね(苦笑)それと時間が限られていると、練習か、治療かの二択を迫られた時、どちらかを取らなければなりませんでした」
こうしたジレンマから解放された川内選手は「平日も4時間、5時間と思い切り練習ができるし、治療に充てる時間をしっかり確保できることで、練習の質も高まると思います」と笑顔を見せる。6月には北海道の釧路で、自身にとって初となる2カ月間の長期合宿を行う予定だ。
川内選手はこれから始まる『プロランナー』としての生活が「自分の可能性を伸ばしてくれるはず」と、ワクワクしている。だが、同時に自分への戒めも。
「恵まれた環境で練習ができることへの感謝の気持ちが、時が経つにつれて薄れるかもしれませんが、これは忘れてはいけないと思っています」
『プロランナー』になったからこそ、やっていきたいこともある。それは、これまではできなかった情報発信だ。すでに開設しているツイッターやフェィスブックといったSNSで、日々の練習の様子などを投稿していく一方で、講演やイベント活動を通して「マラソンの奥深さを伝えていきたい」と考えている。
持ち味の強さを磨きながら2時間7分台を出したい
このように『プロランナー』になって、川内選手の環境は大きく変わった。ただ、毎週のようにレースに出る『川内スタイル』は変えるつもりはないという。
「これは僕の“根幹”でもあるので。それに僕は旅行が好きなんです。その土地を知り、人と触れ合い、美味しいものを食べる…それができるから、マラソンが好きなところもありますし、頻繁に大会に出場しているところもあります」
どうやら川内選手にとって、マラソンと旅は切り離せないもののようだ。今後は旅でのひとコマも発信してくれるかもしれない。
4月15日、川内選手は『プロランナー』になって初めてのレースを迎える。昨年1位でゴールしたボストンマラソンである。川内選手は「ディフェンディングチャンピオンとして臨むので、とにかく上の順位を目指し、最低でも入賞はしたい」と口元を引き締める。
そしてボストンでの結果をはずみにしながら、主にスピード強化に重きを置く釧路での長期合宿で走り込み、「まだ出場が決まったわけではありませんが、ドーハ世界陸上では入賞を狙うつもりです」
川内選手は『プロランナー』としての大きな目標が2つあるという。1つは自己ベストの更新だ。「世界的には速いタイムではありませんが」と前置きしつつ「必ず2時間7分台を出したい」と言葉に力を込める。現在の自己ベストは、日本歴代17位となる2時間08分14秒。『サブテン』は日本では前人未到の13回を記録している。
もう1つは、2021年の米・ユージーン世界陸上での、メダル獲得だ。
「そこまでの2年半、スピードを求めながらトレーニングしつつ、自分の持ち味である『強さ』を磨いていきたい、と思っています」
川内選手はもうすぐ、フルマラソンの出場回数が100回になる。今年中には達成される見込みだが、これまでその全てをアシックスのシューズで走ってきた。記念すべき100回目も、むろんアシックスで走る。
埼玉県庁の職員時代に、『最強の公務員ランナー』『最強の市民ランナー』と呼ばれた川内選手は会見で「今度は何と呼ばれたいか?」とい尋ねられると、こう言った。
「もうすぐフルマラソンの出場回数が100回になりますし、『百戦錬磨のプロランナー』と呼ばれたいですね」
『プロランナー』になった川内選手の走りに、新たなる行動に、要注目だ。