青山学院大学の4連覇で幕を閉じた第94回箱根駅伝。今回もさまざまなドラマがありましたが、20㎞以上を走る選手にとって、「給水」は大事なポイントとなってきます。通常はエントリーメンバーから漏れてしまった学生が給水係を務めるのが主流ですが、実は大学OBであれば参加可能だということを皆さんはご存じだったでしょうか。
今回惜しくも12位とシード権を逃してしまった駒澤大学では、かつて同校陸上競技部でマネージャーとして選手をサポートし、現在はものまねアスリート芸人として活躍するM高史さんが給水係を務めました。なぜ外部の人間が給水を任されたのか、当日はどのように過ごしたのか、法政大学の9区として箱根路を走ったラントリップ代表の大森がお話を伺いました。
大学のOBだったら給水係として出走できる
今回はお越しいただき、ありがとうございます。Mさんが今年の箱根駅伝に〝出走〟したということを聞いたのですが、そのお話をお聞かせください。
学生時代は運営管理車という選手の後ろを走っている監督が乗っている車にマネージャーとして乗車したんですけど、〝出走〟はしていないんです。今回は初めてコースを走る「給水」をさせていただきました。
これには僕も驚きだったんですけど、どうやらOBだったら給水係として出られるようですね。
そうなんですよ。数年前にルールが変更になりまして、各区間+補欠の選手も入れると16名。さらに各区間で2人くらい付き添いが付くと、それだけで大量の部員が必要になります。そうなると部員数が足りなくなる大学も出てくるので、それでおそらくOBでも参加OKになったんだと思います。大森さんも立候補すればもう一度出走できるかもしれないですよ!
そうですよね、僕もひょっとしたら法政大学の給水係ができる可能性があるということなんですよね。
ゆくゆくはこれがトレンドになってきて、例えばOBオールスターチームで給水をしたり、東洋大学だったら山上りで柏原竜二さんが給水として再度走ることもありえるわけです。
新旧〝山の神〟と言われた柏原さんと今井(正人)さんの給水対決とか見てみたいですね!
山梨学院大OBのマヤカさん(真也加ステファン/現・桜美林大監督)と早稲田OBの渡辺康幸さん(現・住友電工監督)が給水対決とか、そういうのも面白いですよね。
キロ3分ペースで並走しないといけないので、それだけの走力があれば問題ないと思います。ルール上は50m以内となっているんですけど、実際は水とスポーツドリンクを両方取る人は(ボトルが)2本あるので、ギリギリですよね。
飲んだボトルを遠くに捨てられたら、それを走って取りに行ったりもしますもんね。
捨てたり、あとは手渡しで受け取ったり。僕はOBで学生の選手とは干支がひと回りくらい違うので、選手は丁寧に手渡してくれましたよ。
「ありがとうございますっ!!」みたいな感じですよね。Mさんも体育会の中でやってこられたから、今でこそ優しいですけど、4年生の時は1年生に対して怖い感じの先輩だったんですか?(笑)
いや、僕は1年生も比較的フレンドリーに話しかけてくれましたよ。僕、自分に甘く、他人に甘いので(笑)。
「自分のステージより緊張しました」
そうですね、各大学同じ水とスポーツドリンクが用意されます。終わると、「各自で処分してください」と言われたので、どうせなら持って帰ろうと。
記念ですもんね。実際走ってみて、選手に渡す前とか緊張しましたか?
いや~、自分のステージよりも緊張しましたよ。自分の仕事だと失敗しても自己責任じゃないですか。給水ってことは、まずは無事に渡せるかがひとつ。さらに、その真後ろを恩師の大八木弘明監督が見ているわけです。
監督が通り過ぎる時に、質問される時があるんですよ。それにパッと答えられるためには、いろいろ準備しておかなければいけない。例えばタイム差や選手の表情。「〇〇大学とのタイム差は何秒だ」と聞かれた時に瞬時に返せないといけませんから。これがお笑いならアドリブで乗り切れるのですが、この場ではキチンと正確なタイムを伝えなくてはいけません。トップと何秒、シード権まで何秒、あるいは復路優勝まで何秒か……
いろいろ聞かれるんですよ。なので、大八木監督は日ごろから「気配り」「目配り」「心配り」と言っているのですが、やはり監督や選手が何の情報を求めているかというのに対して、的確に伝えなくてはいけません。
4区の10㎞地点と、8区の15㎞地点ですね。4区は高本真樹選手(4年)が頑張って順位を上げてくれて、8区の白頭徹也(3年)選手は粘りの走りでしたね。
具体的に、「〇〇大学、〇秒」と前の大学の名称と秒差だけ。比較的短めな言葉で掛けました。その直後に運営管理車がビューっと過ぎていくところで、監督へ「〇秒!」というのをピンポイントに伝える。それを逃すと監督へ電話しなくてはいけないんです(笑)
監督は給水の直後に選手へ向かって声を掛けるんですけど、その時に情報がないと声をかけられない場合もあるので、新鮮な材料を監督へお伝えするんです。
キャプテンの高本選手には、「ありがとうございました!」と言われましたね。白頭選手ともあいさつはしました。
一応、毎年新入生の歓迎会が春にあるんですけど、毎回そこに伺って余興をやらせていただいています。モノマネ芸人になる前からやっているんですよ。
監督ご指名です(笑)。学生時代からB’zの稲葉さんのモノマネとかしていたんですよね。それで監督もそのイメージがあったみたいで。それがモノマネ芸人になった理由のひとつでもあるんです。
そうですね。僕が知らない選手でも、二子玉川周辺を歩いていると「こんにちは」と声を掛けられたりしますし。あと毎年給水じゃなくてもスタッフとして参加していましたから。
沿道でタイムを計る係。今回も給水の前後には2区や10区でタイム係もやりましたよ。
芸人になったのは「大八木監督の娘さんのおかげ」
ボトルには水がパンパンに入っていると思うんですけど、渡す時って何かコツはあるんですか?
周りの大学さんを見ていると、皆さん半分くらい捨てているんですよね。選手が取って飲みやすいように。僕の場合は、当日は日差しが強かったので、水の方を多めに残してあげようと。スポーツドリンクは少なめにしました。
水を多くというのは、身体にかけたりする用でしょうか?
外部の人が給水をするのは珍しいと思うんですけど、給水所の雰囲気はいかがでしたか?
ライバル校同士はしゃべらないですね。各チーム、スマホとかで速報サイトで戦況を確認していました。あれは便利ですよね!
2人とかの大学もいましたが、基本的には1人ですね。
並走するためにウォーミングアップとかもするんですか?
僕はアップしましたよ。ちゃんと動的ストレッチをして、少しジョッグをして。
いきなりキロ3分ペースで走り出すわけですからね。そこで肉離れでも起こったら話になりませんもんね。
話は変わりますが、大八木監督とはもう15年くらいのお付き合いだと思うんですけども……。
Mさんから見る、大八木監督とはどんなお人柄でしょうか。
〝熱い〟ですよね。情熱的で。あとはご自身の得意なところと不得意なところを自分で把握されているので、陸上は大好きだけど、パソコン業務など不得意なところは他人に任せちゃう。だから娘さんの宿題も「見とけ」って(笑)。
Mさんは大八木監督の娘さんの宿題も見ていたんですか?
僕は教員免許を持っているんですけど、教員を諦めるきっかけになったのは、娘さんの成績が一向に上がらなかったからです(笑)。これは今でもご本人に言うと笑い話になるんですけど。
もし教員になっていたら、今回箱根路を走っていないわけですからね。
芸人にもなっていないですし、大森さんともお会いしていなかったかもしれないですね。
「好きなことにコツコツと取り組んでいれば、違ったかたちで夢が叶うこともある」
今回箱根路を給水係とはいえ走られたことで、何か感じることはありましたか?
大学時代は1年間でマネージャー宣告を受けたんですけど、マネージャーを最後までやらせていただいて、大学を卒業してからは好きなようにさせていただいている。そうしたら、「川内優輝選手に似ている」ということで注目していただいて、モノマネでたくさんマラソンを走らせていただきました。その〝走る〟ということをコツコツと続けていたら、まさかの〝箱根の給水〟という役目を任せていただいて。
今日も小学校に訪問して体育の授業で特別講師をさせていただいたんですけど、みんながみんな箱根に出場するとか、オリンピックに出たりとかは正直できないと思うんですよね。全員が出られたらオリンピックの価値もなくなってしまいますし。ただ、好きなことにコツコツと取り組んでいれば、違ったかたちで夢が叶うこともある。僕でいえば、運営管理車に乗れたり、給水をさせていただいたり、今ではマラソン大会のゲストを務めさせていただいたり。
市民ランナーになって活躍している方も多いですからね。
駒澤大学の1つ先輩で風見尚さんという方がいるんですけど、彼は4年連続で16人のエントリーメンバーに選ばれながら、1度も箱根を走らずに卒業していったんです。
風見さんが1年~3年の時はちょうど駒澤が連覇している時。最後は11番手の選手で、当日の朝にエントリー変更になったんです。卒業後は実業団選手として活躍して、何年かで引退。でもその後もコツコツとご自身で走っていたら、フルマラソンもトラックも実業団時代のベストを更新してしまったという(笑)
2時間17分とかですね。今は50㎞の競技で世界4位。日本代表にも選ばれています。そんな先輩もいるので、箱根駅伝に学ばせてもらったのは、苦しくても突き進んでいれば「違ったかたちで夢が叶うことがある」ということ。それは子どもたちにも伝えました。
<後編へ続く>
M高史(ものまねアスリート芸人)
中学・高校は陸上部(長距離)に所属し、駒澤大学陸上競技部では駅伝主務として選手をサポート。卒業後は知的障がい者施設の支援員として約5年間勤務した。2011年12月より「ものまねアスリート芸人」へ転身し、〝公務員ランナー・川内優輝選手のそっくりさん〟として注目を集める。現在は東京マラソン財団スポーツレガシー事業チャリティ・アンバサダー、東京マラソンウィーク宣伝部長、「NPO法人アトリエ言の葉」理事長と、幾多の役職を兼務している。
1991 年生まれ、東京都出身。スポーツをメインに取材・執筆を行うフリーライター。陸上競技 の専門誌『月刊陸上競技』での執筆経験を生かし、当媒体では元陸上ランナーのインタビュ ーや箱根駅伝関連の記事を多く執筆している。