女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」

2008年の北京オリンピック女子5000m日本代表といえばこの人。兵庫の地から世界の舞台へと羽ばたいた小林祐梨子さんです。2015年に現役引退をしてからというもの、現在は自身の経験を基に全国各地で講演活動やゲストランナーとして活躍中です。

そんな小林さんですが、現役時代を回想するとともに、今のお気持ちを率直に話していただきました。素直で、かつパワフルなキャラクターの彼女ですが、力強い言葉で未来への希望を語っていただきました。そして「いつも市民ランナーの皆さんから日々学ばせていただいています」という謙虚な姿勢も彼女の持つ素晴らしさの一つです。

「女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」」の画像

25人が一つになった都大路

–小林さんといえばオリンピック選手にして女子1500mの日本記録保持者ですね。思い出のレースはどのレースでしょうか。

トラックレースでは1500mで日本記録を出した大阪でのレースや、北京オリンピックの5000mですね。

「女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」」の画像2008年8月小林さんが19歳で出場した北京オリンピック (ゼッケン2200) Photo by M.Kojima

今まで様々なレースに出場してきましたが、やはりオリンピック以上のレースは無いと思って走りましたので、とてもエキサイティングする事が出来ました。しかし、そのオリンピックを差し置いてでも、私が最も思い出に残るレースは、須磨学園高校3年時の全国高校駅伝です。

私はチームの選手、個々の力を伸ばすことによって駅伝での勝利に繋がると思っていました。チームワークというよりも、自己主張の強い私は、須磨学園の駅伝チームを当時指揮していた長谷川重夫先生からみれば、厄介者だったかもしれません…。

私が高校1年と2年の時に、全国高校駅伝で優勝候補に挙がりながらも、優勝することは出来ませんでした。そこから学んだ事は、駅伝において個々の力を伸ばすことが全てではない、という事です。その後3年生となり、私が主将としてチームを牽引しました。

そして迎えた都大路でのレース当日、1区の選手が思うような走りが出来ず、出遅れました。それでも、チームメイト全員が「大丈夫。絶対いける。」と前だけを見ていました。私たちの優勝への自信は、ブレることなく、どんな状況でも優勝するぞ!という気持ちでした。

今考えるととても不思議な事なんですが…。私は「小林なら絶対やってくれる」というチームメイトや須磨学園のサポーターのメッセージを感じて走り出しました。とにかく必死で前の選手を追っていました。

後に、私は20人を抜いたと知りましたが、無我夢中で走っていたので、殆ど記憶がないんです。その後、3区以降のチームメイトのお陰で、やっと、悲願の優勝を手に入れたんです。ゴールシーンではアンカーを務めたチームメイトが“25”のハンドサインでゴールしました。

チームの選手は23人だったのですが、長谷川先生とマネージャーを含めての25人。みんなで掴み取った優勝でした。この時の優勝メンバーとは本当に今でも仲良くさせてもらっています。一生の友ですね。

 

アメリカで感じた“違い”

–小林さんは高校卒業後は豊田自動織機に入社。それからはいかがでしたか。

会社の社内留学制度を利用して岡山大学のマッチングプログラムコースに入学しました。勉強も陸上もシビアにやりたかったんです。とはいえ、陸上第一の私にとって勉強はよい息抜きの時間でした。陸上の事を知らない大学の友達との交流も大切にしました。私はそうやってメリハリをつけるのが得意なんです(笑) その後、北京オリンピック、世界陸上ベルリン大会を経験し、大学も無事に卒業しました。

次なる目標は2012年のロンドンオリンピックでしたが、日本選手権で敗戦。2度目のオリンピック出場は叶いませんでした。一時は引退も考えました。高校からそれまでずっと、私を指導していただいていた長谷川先生と話し合った結果、自分が所属する会社やチームの承諾を得たうえで、アメリカのアリゾナ州に陸上留学することにしました。

「女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」」の画像アリゾナでの練習。アメリカでは不整地を走る事が殆ど。練習後はお互いを讃えあう。

「女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」」の画像アリゾナ州のツーソンという場所で、2013年のはじめからおよそ1年弱滞在して練習をしていました。毎日が刺激的で、学ぶ事がとても多かったです。アメリカの選手は練習でのメリハリがとてもあるように感じました。ウォーミングアップは談笑しながらでも、練習が開始すると集中。終われば皆で讃えあう。メリハリが凄いです。

一方で、彼女達は結果を出さなければダメ。シビアな世界です。練習以外の時間では“生活”するために、働きに出る人もたくさん見てきました。彼女達はチームのため、というよりかは自分のために走っているのです。自分の頭で考えて行動しています。そして、コーチ、選手間の会話が密で、選手はコーチを心から信頼しています。

ある選手から、日本の実業団は「なぜそんなに恵まれているの?」と聞かれました。自分の現実を見つめ直し、とても考えさせられました。私自身はツーソンでの期間は怪我に悩まされ思うように走れなかったですが、とても多くの事を学びました。アメリカの中長距離選手の誰もが憧れるバーナード・ラガト選手や、そのコーチのジェームズ・リーさんにも大変お世話になりました。

ラガト選手に、今まで私がやってきた練習の事を話した時は「ユリコ!練習しすぎじゃないか!?休みも積極的にとらないといけないよ!」とアドバイスを戴きました。彼は、世界陸上大阪大会で2冠を達成しただけでなく、アメリカ記録を幾つも持っている偉大な選手です。しかし、1年の間で必ず“全く走らない期間”を意図的に設けています。そんなラガト選手のメッセージから大きな意味を感じました。

 

“速さ”ではなく“若さ”が武器です

–小林さんは2015年に現役引退されました。それから、現在の活動も踏まえたうえで今後どういう風に活動していきたいと思っていますか。

うーん…たくさんありますよ!!

ひとつは、現在低迷している日本の陸上中距離種目のために貢献したいという事です。私が10年前に残した女子1500mの日本記録が今も残っているという事から、今の日本の中距離界は低迷しています。リオオリンピックでは私にとって思い入れがある1500mで、日本人選手が出場していなくて寂しい気持ちでした。現在私は、高校生の選抜合宿に赴くなどして、自らアドバイスをしています。未来のスター選手の育成、その為にも、私がすべき事を果たす事が大切だと思います。

「女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」」の画像宮崎県小林市でのU19オリンピック育成競技者長距離研修合宿の様子

それと… 実は、18歳の時にアメリカのフィフス・アベニュー・マイル (5th Avenue mile, at New York)というレースにコッソリ…出た事があります (動画)。こういった中距離のメジャーレースが日本にあれば、もっと中距離がメジャーな種目になってレベルも上がるのでは、とひそかに思っています。

 

–日本でのマイルレース。奇遇にも私も小林さんと同じような事を考えていました… 小林さんになら実現できるのでは?

では… すしマンさん、一緒にやりましょうね (笑)

もうひとつは、今まで築いてきた陸上競技でのネットワークだけでなく、もっと一般のランナーの方々と交流していきたいという事です。私の現役時代は、その殆どがトラックでの練習でした。綺麗な景色を見ながらリラックスして走ってみたり、一般の市民ランナーの方が普通にやっている事。新しい道を見つけ、新しい仲間と出会うこと。それをやっていきたいですね。まさにラントリップですね!

「女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」」の画像 2016年2月地元・播磨での姫路城マラソンで初フルを完走。

 

「女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」」の画像現役時代はハーフマラソンも走った事が無かったですが、2016年の2月に姫路城マラソンのゲストランナーとしてフルマラソンに初挑戦しました。初フルは地元と決めていました。目標は3時間30分切りでしたが、なにせ初めての経験ですので… 周りの市民ランナーの方々にサポートというか励まして戴きました。「ゆりちゃん、最初からペース上げたらアカンでぇ〜!」って。オリンピック出場経験のあるゲストランナーなのに、私が市民ランナーの方に教えて戴いている… 普通は逆ですよね (笑)

そういったやり取りを経て、初フルをなんとか3時間29分45秒でゴール。目標達成!!私は今、こうやって「市民ランナー」の皆さんに教えて戴いている事ばかりです。本当に感謝の気持ちで一杯です。心から感激しました。今は、純粋に走る事が楽しいです。私の今の武器は“速さ”ではなく“若さ”です。これからも日本各地、世界各地を走り回りたいですね。日本全国の市民ランナーの皆さん!これからもどうぞ宜しくお願い致します!

プロフィール

「女子1500mの日本記録保持者・小林祐梨子さん、思い出のレースは「高校駅伝」」の画像 小林 祐梨子 (こばやし ゆりこ)
1988年12月12日生まれ、兵庫県出身。
北京オリンピック・世界陸上ベルリン大会女子5000m日本代表。須磨学園高校3年時に1500mで4分07秒86の日本記録、3000mで8分52秒33の高校記録を樹立。同年の全国高校駅伝で優勝、チームの主将も務める。高校卒業後は豊田自動織機に入社。社内留学制度を活用し、岡山大学マッチングプログラムコースへ入学。大学卒業後も豊田自動織機に所属。2013年にはアメリカ・アリゾナ州を拠点とした。度重なる怪我のため、2015年に現役引退。現在は講演活動やゲストランナーとして活躍中。ゲストランナーとして出場した2016年の姫路城マラソンにて、自身初のフルマラソンを3時間29分45秒で完走した。好きなすしネタは“中トロ”。OFFICIAL WEBSITE:http://www.kobayuri.com
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