旅するトレイルランナーが語る!標高3,000mと地域のコミュニケーション|宮地藤雄さんへインタビュー
Apr 12, 2016 / MOTIVATION
Apr 26, 2019 Updated
世界中を旅しながらレースに出場し続ける一方、神奈川県逗子市のローカルなコミュニティ作りも手がけるグローカルランナーの宮地藤雄さん。宮地さんは2006年にトレイルランニングと出会い、以来、10年以上もプロランナーとして活躍しています。すでに、業界ではベテランと言えるでしょう。
トレイルランニングの黎明期から走り続けている宮地さん。これまで見てきたもの、そしてこれから実現したいことについてお話を伺いました。
ショップのチラシがもたらした人生の分岐点
–宮地さんはいつから走り始めたんですか?
僕はもともと陸上競技などやっておらず、学生時代も部活動より生徒会を頑張る人間でした。学校という空間が好きで、「大人になってもずっと学校にいたい」と本気で思ってたんですよ。だから自然と教員を目指すようになり、教育実習でたまたま担当した陸上部のコーチを何年か継続する中で自分も走り始めました。2006年頃、生徒を連れてスパイクシューズを購入しに行ったショップでのこと。『第一回 おんたけスカイレース』のチラシを見つけたのが、トレイルランニングとの初めての出会いです。そのチラシには岩山をよじ登っているような写真が掲載されていて、「うわ、これに出たい!」と直感しました。
そこでさっそくエントリーし、その大会に出場したんです。それなのに、全然チラシで見た岩山がないんですよ。よく考えたらチラシは第一回大会のものなので、前年度の写真なんてあるはずないんですよね。ちなみに後から聞いたら、あれはマレーシアにあるキナバル山の写真だったそうです(笑)でも、それから何度も山を走るようになりました。例えば富士山頂をお鉢巡りした際、目の前に広がるパノラマを見たら、やっぱり「トレランって凄い!」と思えて抜けられなくなっていました。そして気がついたら、いつの間にかプロのトレイルランナーになっていたんです。
標高3,000mで体験する最高の夜
–過去出場された中で、どのレースが印象に残っていますか?
100レース以上に出てきましたが、僕はコロラドが好きです。「トランスロッキーズ」というロッキー山脈を縦走するレースがあって、それは3日間旅するように移動しながら走るステージレースなんです。スタッフも大変で、選手がスタートしたらテントを全てたたんで先回りし、ゴール地点にまたテント村を用意します。ブリーフィングなどを含めると、4〜5日参加者やスタッフが一緒に行動することに。みんな仲良くなって、レースなのに、まるで500人で旅しているような感覚になります。夜はバイキングで食事を楽しみながら、その日のアワードを表彰したり、メイキングハイライト映像を見たり。選手だけでなく、応援の人々やクルーまで表彰されるんですよ。標高3,000mの大自然の中で体験できる、最高のコミュニケーションです。
–いいですね!英語のコミュニケーションは得意だったんですか?
いいえ、全然そんなことありません。ただし、それっぽいタイミングで相槌を打って社交的に見せることと、分からないことをきちんと聞くことは意識していました。日本人は若く見られているので、分からないことがあっても「若いから仕方ない」って感じで許されるんですよ。しかし、一番大事なのは「強い」ということですね。強ければそれだけでチヤホヤされるから、それでなんとかなっていました。
–トレイルランニングと出会って、どんなことを学びましたか?
謙虚でいることと、分をわきまえるということ。そして、困ったときはお互いさまだということを学びました。特に自然というのは、人間がどうにかできることではありません。当たり前のことだけど、「自然は偉大で雄大」ということを肌で感じました。
「選手は手段」子供達に伝えたいこと。
–宮地さんは10年以上も選手として活動されていますが、この先の展望を教えてください。
今はスポーツを中心に、子どものうちからいろいろな体験ができる場を作りたいですね。そうした経験が、必ず将来の選択肢を広げることに繋がると思っているので。「夢を持つきっかけ」を与えたいんです。だから、裏山遊びの感覚でジュニアトレイルラン大会を開催するなど、「たくましい子」を育てられる環境を作るために取り組んでいます。地域の子どもたちには、「速いだけじゃなく、強くて優しくなりなさい」と指導しています。
そうした活動を大きくするためにも、自分が選手でいることは重要だと思っています。言う本人が活躍していなければ、説得力がないこともありますから。ただ、僕は選手としてスタートした時期が遅いので、できることは限られています。そういう意味でも、例えば日本人プレイヤーがあまりいないマウンテンランニングという業界を狙って、日本代表に選んでいただくなど考えながら動いているんです。
–なるほど、教育や地域づくりにも活動領域を広めていらっしゃるんですね。
はい。僕は青山生まれ六本木育ちのいわゆる「シティボーイ」なんですが、社会全体で子どもたちを見守るような環境に憧れがありました。そういうコミュニティを作りたい。今は、そうした思いで神奈川県逗子市のローカルなコミュニティ作りにも積極的に関わっています。例えば『Running Zushi』というクラブを作って、地元のトラックでナイトランをするなど。これをWalking Zushi、Ekiden Zushi、Trail Zushiなどと派生させていきたいと考えています。
–海外のトレイルレースに出てみたいという人へメッセージをお願いします。
大事なことは、好奇心と小さな行動です。「この景色を見たい」と思ったら、まず調べてみること。この一歩だけで、大きな展開が待っていますよ。世界にはローカルな面白い大会もたくさんあって、意外とチャンスは多いですから。いざ飛び込んでみればいろんな出会いがあるので、とにかく一歩でも動いてみることが大切。少しくらい無理してでも、行ってみた方がいいと思いますよ!
–宮地さん、ありがとうございました!
プロフィール
宮地 藤雄(みやち ふじお)トレイルランナー、マウンテンランナー 神奈川県逗子市在住のトレイルランナー。トレイルランニングを通じ、スポーツの楽しさの普及活動を行う。
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