「五輪に出られなかったらただのカンボジア人……」猫ひろしの苦悩

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(写真 佐藤主祥)

2016年、リオデジャネイロ五輪の男子マラソンで、あるカンボジア人選手が大きな注目を集めました。

その男の名は「KUNIAKI TAKIZAKI」。日本では芸名「猫ひろし」として2000年代よりバラエティ番組等で活躍しているお笑い芸人です。

完走した140人中139位(2時間45分55秒)でフィニッシュした後、ハイテンションで会場を大きく盛り上げ、「カンボージア!! カンボージア!!」と大カンボジアコールを巻き起こしました。

2011年にカンボジア国籍を取得し、5年後には念願のオリンピック出場を果たした猫ひろしさん。今年7月にはカンボジアで、自身のドキュメンタリー映画の上映会『ホリエモン祭 in カンボジア with NEKO THE MOVIE』が開催されます。一体なぜ、彼は日本国籍を捨て、カンボジア国籍を選んだのか。そしてオリンピック出場までの苦悩とは……。“来日中”の猫さんを取材しました。

芸人・猫ひろし、34歳でカンボジア人に

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▲オリンピック挑戦までの経緯を話す猫ひろしさん 

――このたび、猫ひろしさんのオリンピック出場までを追ったドキュメンタリー映画『NEKO THE MOVIE』が完成されたということですが、どのような内容になっているのでしょうか?

僕のリオまでのオリンピック挑戦(8年間)が、約90分の映画に凝縮されています。バラエティ番組で昔から仲の良かったディレクターさんがいて、「猫ちゃん、国籍を変えてオリンピック目指すんだよね? プライベートで追っかけようかな」と言ってくれたんです。

その方は実際にカンボジアまで来てくれて、カンボジア国籍を取得する時も、東南アジア大会に出場した時も、アジア大会も全部自腹で来て、映像を撮り続けてくれたんです。当時は僕も彼も映画にしようなんてまったく思っていなかったんですけど、僕がオリンピックに挑戦するきっかけを作ってくれた堀江貴文さんが「これ絶対映画にした方がいいですよ!」と言ってくれまして、映画化が実現しました。

――そもそも、なぜオリンピックに挑戦しようという流れになったのでしょうか?

2009年頃に堀江さんの番組で『猫ひろし再生計画』という失礼なタイトルの企画があったんです(笑)。「選挙に出る」「東大を受験して合格する」「寺芸人になる」とか、いろいろなアイデアが挙がる中で、「足が速いから、国籍を変えてオリンピックに出るのはどう?」という案が出たんです。これを聞いてシンプルに「面白そうだな」と思ったんですよね。その後、事務所へ話を通して、2年後の2011年にカンボジア国籍を取得しました。

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▲2012年のロンドン大会は出場が叶わなかったが、4年後のリオデジャネイロ大会では「KUNIAKI TAKIZAKI 」として念願のオリンピック出場を果たした

――2012年のロンドン五輪はカンボジア代表として内定を得ながら、国際陸連によって取り消されたことが日本でも話題になりました。その時の心境というのはいかがでしたか。

何となく雲行きが怪しくなっていくのは、わかっていたんですよね。

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