「ランニングでカナダ横断」を目指した“義足の少年”を想うランニングイベント

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癌への認識を変えた「希望のマラソン」

カナダ人なら知らない人はいない、とも言える「希望のマラソン」。この物語の主人公は、テリー・フォックス少年です。1970年代、カリーヘアで運動好きだった少年・フォックスさんは、車と衝突する大事故に遭遇。車は大破したものの、フォックスさんは膝がヒリヒリする程度のケガですみました。

しかし、1977年に膝の痛みを感じ病院に行くと、癌であることが発覚。正確には骨肉腫。悪性の腫瘍です。彼の命を救うには足の切断しか選択肢がありませんでした。当時、フォックスさんは18歳。片足を失うには、あまりに早い年齢です。

ただ、フォックスさんには高い目標がありました。というのも、同じ病院で自分よりも幼い子どもたちが癌と向き合う姿を見たことから、もっと癌を知ってもらう必要があると感じたのです。

当時、癌研究の認識はまだ高いとは言えず、どうにかしたいと思ったのです。フォックスさんは、癌研究に関する認識を広め、資金を調達するためにカナダ全土を横断するという目標を立てました。横断といっても義足をつけての挑戦。今でさえ、義足の技術は高まっていますが、その頃のものは体への負担が大きく、フォックスさんは強い痛みと多くの水ぶくれに悩まされることとなりました。

しかし、この痛みに耐え、フォックスさんはなんと1日26マイル(約42km)をも走ったのです。どんな天候にも関わらず、進み続けたのです。

「フォックスの話しに触発されて、フォード・カナダはキャンピングカーを、アディダスはランニングシューズを提供し、ほかのスポンサーも次々と現れて、飛行機のフライトやガソリン代、生活費などの提供を申し出た。カナダ癌協会も彼の挑戦を支援することに同意した」と、書籍『アテンション』で当時の様子が紹介されています。

寄付金に関しては、すぐに入ってきませんでしたが、フォー・シーズンズの創業者であるイサドア・シャープさんがついに関心を持ちます。ご自身も癌で息子を亡くされていたシャープさん。そんなシャープさんの協力もあり、徐々にフォックスさんの活動の知名度があがっていきました。ついには、フォックスさんが1マイル走るごとに2ドルの寄付を集めることに成功。

「トロントに到着すると、1万人が集結し、癌研究への資金を1日で10万ドル集めた。オンタリオでは、アイスホッケー界のレジェンド、ボビー・オアが25000ドルの小切手を贈った」同書にあるように、フォックスさんの活動は、徐々に多くの人の注目を集めることになったのです。

しかし、1980年9月1日、鈍い痛みに襲われたテリーは、ギャラリーがいなくなった隙に、伴奏車に戻りこう告げました。「病院に行って欲しい」。そこでは、この活動の終焉を告げる結果が待っていました。

ガンが肺に転移。レモン2個分にも相当する大きさとなっていたのです。スタートから143日目、距離にして5373kmで、フォックスさんの「希望のマラソン」の挑戦は終わってしまったのです。

このフォックスさんの活動は、世の認識を変えました。癌研究は最優先すべきことと考えられるようになったのです。ただ、後の1981年6月、肺炎をこじらせたフォックスさんは他界。カナダ全土は深い悲しみに包まれたといいます。

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この「テリー・フォックス・ラン」はいまや各地で開催されるイベントとなっています。カナダでは今週末の9月18日に開催。また、日本でも開催されており、10月9日に北海道・札幌で行われます。現在、エントリーも受付中。詳細はこちらから。誰かのことを想って走るラン。そんな走り方があっても良いのはないでしょうか。

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