東日本大震災の記録「いのちの石碑」を巡るランニングコースを作ってきた

2011年3月11日に起きた「東日本大震災」では、多くの犠牲者が出ました。被害を受けた各地では、今もなおその爪あとを残しながらも、復興作業が進められています。

今回走ってきたのは宮城県女川町。ここには、地元中学生の手によって建てられた「いのちの石碑」があります。この「いのちの石碑」は町内の浜に建てられ、その位置は“震災時に津波が襲ってきた高さ”とのこと。そして石碑には、次のように2つのメッセージが刻まれています。

「東日本大震災の記録「いのちの石碑」を巡るランニングコースを作ってきた」の画像

まずはこちらの文章。写真は女川地域医療センターに設けられた「津波記憶石」ですが、これと同じ内容が、全ての「いのちの石碑」にも書かれています。

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そしてもう1つが石碑左側の俳句。この俳句、実は石碑毎に異なっています。俳句を読み、そこに込められた思いを感じ取ってみると良いでしょう。

「いのちの石碑」は最終的に21の石碑が建てられる予定です。今回は、そのうち現時点で完成している6つの石碑を繋ぎ、ランニングコースを作ってきました。

<コースで巡る石碑の順番>

  1. 第4基:鷲神浜(女川町青少年勤労センター)
  2. 第3基:宮ヶ崎(国道398号沿いにある神社境内)
  3. 第6基:桐ヶ崎
  4. 第2基:竹ノ浦(神社境内)
  5. 第5基:尾浦(保福寺境内)
  6. 第1基:女川中学校の校舎前

浦宿駅から女川漁港へ

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スタートはJR石巻線「浦宿」駅。同線終点に位置する女川駅の1つ手前です。まずはここから第4基の石碑を経由して女川港を目指します。駅周辺にはドラッグストアやコンビニがあるので、飲み物など必要なら買っておくと良いでしょう。

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駅前の国道398号線を進むと分かれ道が。本来なら女川駅までまっすぐ続いていた道ですが、震災の影響で通行止めのため右折します。ここから、少しずつアップダウンが増えてきました。

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浦宿駅から2km弱走ったところで、最初の石碑がありました。第4基となるこちらの石碑は、女川町青少年勤労センターの近くに建てられています。398号線を右手側に注意しながら進めば、見落とすことはないでしょう。

 

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そのまま国道398号線を進むと、やがて女川港に到着します。青い海と周囲を囲む山々。船が停泊する港には、たくさんのカモメも飛んでいました。

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女川港付近は復興工事が進められており、たくさんの工事車両が行き交います。歩道は整備されていない場所もあるので、通行にはくれぐれも注意してください。風の強い日には砂が舞うこともあり、サングラスなど着用しておくと良いかもしれません。

途中、細い道に入った場所に次の石碑があります。工事の影響もあって少し道がわかりにくいので、間違えて工事現場に入ってしまわないように。(有)マルキ阿部商店の横ですので、目印にしてください。

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まっすぐ進むと、小高い場所に神社があるのが分かります。階段が壊れてしまい、裏手に仮設階段が設けられていました。

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この階段を登ると、神社境内に石碑がありました。こちらが、女川港を背に建てられた第3基の石碑です。ランニングコースは、再び国道398号線へと戻ります。ここまで経由した「第4基」「第3基」の石碑は女川駅からも徒歩圏内なので、走らない方でも見に行きやすいでしょう。

尾浦で折り返して最初の石碑へ

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第3基を訪れた後も、基本的には国道398号線沿いを走っていきます。傾斜が急な上り坂となり、また歩道が狭くなっているので、走る際には注意が必要です。

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「桐ケ崎」の看板を見つけたら、国道から外れて下ります。すると、第6基の石碑が立っていました。周囲には人の気配がなく、ただ波音だけが聞こえてくる場所。津波の起きた海に向けて建つその姿は、どこか淋しげにも感じました。

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さらに国道398号線を走って行くと、今度は「竹浦」の看板が。その先にあるのが、第2基の石碑でした。港より少し登った場所にある神社の境内は、ちょっと分かりづらいかもしれません。

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第2基の石碑が建てられた神社には、こんな表示がありました。見た目にはかなり高台に感じるのですが、それでも津波が届いたという事実。女川では津波が高さ20mにも及んだと言いますが、その壮絶さを改めて痛感しました。

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スタート地点の浦宿駅から約10km。「保福寺」の看板に従って横道へ入ると、その境内に第5基の石碑があります。現状では、この石碑がもっとも遠くに位置する「いのちの石碑」です。

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保安寺からは国道398号線を折り返して走ります。同じ道ではありますが、行きとは違った景色を楽しめるはず。遠目に見えた女川港は、青々とした海がとても美しく輝いていました。

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女川港前から横道に入り、国道398号線を外れて女川駅方面へ。この女川駅が本コースのゴールですが、まだ石碑が1つ残っています。駅前を通り過ぎて道なりに進むと、「女川中学校」の看板がありました。この道の先、女川中学校の正面玄関前にあるのが、最初に建てられた石碑です。

『夢だけは 壊せなかった 大震災』

この第一号の石碑には、そんな俳句が刻まれていました。「いのちの石碑」は震災の記録を残すと共に、未来へ向けた子どもたちの夢が詰まっているのかもしれません。

走った後は温泉と食を堪能

「東日本大震災の記録「いのちの石碑」を巡るランニングコースを作ってきた」の画像

6つの石碑を巡ったら、JR石巻線「女川」駅がゴールです。この駅には「ゆぽっぽ」という温泉が併設されているので、汗を流しサッパリするのがオススメ。広々とした休憩スペースも設けられています。

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さらに駅周辺では、女川の美味しいグルメを堪能することもできます。写真は「おかせい」の特選女川丼。女川の“美味い”が詰まっていました。その他にも飲食店や飲み屋など、たくさんのお店が徒歩圏内に点在しています。

ここでご紹介した詳しいコースルートは、「Runtrip」でご確認いただけます。美味しい海の幸や、周囲を囲む山々など始めとした自然も楽しめる女川町。ぜひ、ご自身でもその現状や素晴らしさを感じる、ラントリップに出掛けてみてはいかがでしょうか。

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